7回目の出場となるウインブルドンで、自身最高の第5シードとなった錦織圭は、2回戦を棄権。悔しさをにじませながらテニスの聖地を去った。

 6月中旬、錦織はウインブルドン前哨戦のATPハレ大会準々決勝で、左ふくらはぎに筋膜炎を起こし、ウインブルドン出場が危ぶまれていた。それでも、テーピングを施しながら開幕直前の練習をこなし、痛みはなくなりつつあった。

 ウインブルドン1回戦は、昨年5セットの末に破ったシモネ・ボレリ(イタリア・55位)との再戦。錦織はまたもや5セットを強いられながらも、3時間22分の激闘の末、2回戦に駒を進めた。

 だが、この試合のファイナルセットで左ふくらはぎ痛が再発。第3ゲーム後にメディカルタイムアウトをとると、ひざ下までテーピングをしてプレーを続けた。錦織は「第2セットのタイブレークを取って、ストレート勝ちで1回戦を終わらせることができていれば」と悔やみ、結局、2回戦前の棄権を決めた。錦織がウインブルドンで棄権したのは初めてではなく、グランドスラムデビューとなった08年の1回戦でも、腹筋痛のため途中棄権している。

 錦織は、2015年上半期に安定した好成績を残し、マッチ37勝9敗でツアー優勝2回。勝ち上がれば当然試合数が増えるため、錦織は「疲れもたまっていたのかなと」と振り返った。今シーズン、2回戦で負ける早期敗退は、今回のウインブルドンが初めてだ。

 これまで何度もケガに悩まされ、筋膜炎になった経験もあるクルム伊達公子は、錦織の決断を次のように評価した。

「(筋膜炎は)爆弾を抱えた状態。彼の今の状況を考えると、2回戦を勝って満足するわけはないですし、問題は準決勝や決勝を見据えて戦えるだけの状態かどうか、です。私は勇気ある決断だと思う」

 クルム伊達は、もしここでケガを悪化させて肉離れにでもなってしまったら、1、2週間では完治せず、錦織は夏のハードコートシーズンを「棒に振ってしまうリスクもあったのでは」とも指摘する。

 今回の錦織のケガは、グラス(天然芝)コートの特殊性も関連していると考えられる。

 実は、1月から11月中旬まで続くワールドツアーの中で、グラスシーズンはウインブルドンを含めて5週間しかない特殊なシーズン。また、錦織がプレーするグラス大会は、年にわずか2大会だけだ。そして、球足の遅いレッドクレー(赤土)から球足の速いグラスへのサーフェスの変化に合わせることが、もっとも難しいと言われている。

 たとえば、強力なトップスピン(順回転)をかけるフォアハンドが武器のラファエル・ナダル(スペイン、10位)は、グラスでプレーする時にはインパクトの瞬間にフラット面をつくってボールを押すようにして打つ。なぜなら、クレーと同じようにラケットヘッドを効かせ過ぎると、フレームショットを連発してしまうことになるからだ。

 これまでローランギャロス(全仏)とウインブルドンの間が2週間しかないことが問題視されていたが、2015年シーズンからは3週間になり、この改善は多くの選手から歓迎された。

 それでも、錦織は切り替えの難しさを口にした。

「5日間ぐらい休めたので、体力的には助かった。アメリカ(拠点のフロリダ)に帰れたことは、よかったです。でも、完全にスッキリした感じではなかったので、そういうところも、ケガにつながった原因かもしれない」

 2000年よりウインブルドンのコートは、ペレニアルライグラスが100%使用され(以前はライグラス70%、他種類のグラス30%)、試合時は8mmに刈られる(この長さは1988年から統一)。地面はローラーによって固められているものの、クルム伊達によれば「踏み込んだ時、ハードコートのように地面からの反発を利用できない」という。

 芝は「足がグニッと入るので、見えない疲労が蓄積される。だからふくらはぎはケガが起こりやすい」。さらに、グラスは最も足下が滑りやすいサーフェスなので、もし滑って転べば、「ひざのじん帯や足首を痛める可能性もある」とクルム伊達は付け加える。

 つまり、ツアー随一の素早いフットワークを誇る錦織にとって、グラスコートは対応が難しいサーフェスであり、動きに苦慮しているのが現状だ。

「全部のボールを拾ってというのは難しい。フットワークがいちばん苦労するところ。たぶん、どのサーフェスよりも負荷がかかってくると思います」

 さらに、錦織はサーブでいつもよりスピードを出すことを心がけていたため、サーブのテークバック時やインパクトに向けてジャンプする時、左ふくらはぎに負担がかかり、今回のケガにつながった可能性も考えられる。

ちなみに、ノバク・ジョコビッチ(セルビア、1位)は、昨年も今年もグラスの前哨戦に出場していない。サーフェスへの適応よりも、コンディショニングを優先させたのだ。ジョコビッチは昨年、ウインブルドンで2回目の優勝を成し遂げ、今年も勝ち上がっている。

グランドスラム初制覇を狙う錦織もまた、フィジカルやメンタル面において、いかにグランドスラムにピークをもっていけるかを突き詰めなくてはいけないだろう。

今回、ウインブルドンではケガに泣いた錦織だったが、収穫もあった。グラスでも、自分でコントロールして足をスライドさせることができるようになったという。ジョコビッチが、芝でもクレーコートと同じように足をスライドさせるのをテレビで見て、「自分もできたら」と考えていたのだ。

「(今までも)やってはいましたけど、コントロールしてできたのは今回が初めて。いつもはたまたま滑って、『うわ、危ない』と思っていましたが、自由にスライドできるようになった。それがすごくうれしかったです」

 8月下旬には、錦織が昨年準優勝した、最も相性のいいUSオープン(全米)が控える。15年シーズン最後のグランドスラムでは、彼への期待が大きくなり、ライバル選手からのマークもさらに厳しくなるだろう。だが、ピーキングがうまくいけば、悲願であるグランドスラム初優勝は、決して手が届かないものではないはずだ。

神仁司●文 text by Ko Hitoshi