盛りあげよう!東京パラリンピック2020(30)

【陸上・高桑早生インタビュー Vol.2】

 来年行なわれるリオパラリンピック、さらには2020年の東京パラリンピックの陸上で活躍が期待される高桑早生選手。その高桑選手が義足を着けるようになったのは、中学1年生のときに骨肉腫で右ひざ下を切断してから。中学で入部していたテニス部では、日常用の義足でプレイしていたという。その後、高校で陸上部に入部し、スポーツ義足と出会った。10年の付き合いになる義足は、高桑選手にとってどんな存在なのか。お話をうかがった。

伊藤数子さん(以下、伊藤)高校で陸上部に入ったとき、スポーツ用の義足は持っていましたか?

高桑早生選手(以下、高桑)いいえ、まだ持っていませんでした。スポーツ義足は高校1年生になってすぐに、全国障害者スポーツ大会の予選が地元の熊谷(埼玉)であると知って、せっかく大会に出るなら走れる義足を作ってみようっていう話になったのが最初です。そのとき作ったのは今履いているような大きい板がついているものではなくて、履けなくなった義足の足部にちょっとおもちゃみたいなバネを付けて、簡単に走れるようにしたものでした。それで予選に出たんです。

伊藤:走った感想は?

高桑:案外しっかり走れたという感じでした。で、そこからあれよあれよという間に10月の国体代表に選ばれてしまったんです。その年は、大分国体だったんですけど、せっかく大分まで行って試合するんだったら、ちゃんとした義足を作りましょうということで、埼玉県代表が決まってから慌てて義足を作ってもらいました。

伊藤:バタバタの高校1年生ですね。

高桑:そうなんですよ。でもそこからですね、本当にちゃんと走り始めたのは。

伊藤:スポーツ用の義足を手に入れたことによって、また気持ちは変わりましたか?

高桑:やっぱりあれだけかっこいいものを買ってもらったっていうのは、モチベーションになりました。『簡単にはやめられないな』っていう気持ちにもなりましたね。

伊藤:以前、高桑選手とお話させていただいたときに、「佐藤真海さん(※)は『義足に血が通う』という言葉を使いますが、高桑さんは?」とお聞きしたら、「私は違います」っておっしゃいましたよね?
※大学時代に骨肉腫を発症し、右足ひざ下を切断。走り幅跳びの選手としてアテネ、北京、ロンドンパラリンピックに出場している。最近では2020年東京オリンピック・パラリンピック招致委員会プレゼンターとして招致に貢献した。

高桑:そうでしたね。人それぞれの考え方とか、表現の仕方だと思うんですけど。私の場合、義足に血は通わないですね(笑)。義足はただのプラスチックと鉄の塊だと思っています。どちらかというと、これ(義足)をコントロールしたい。それを真海さんは「血が通う」と表現するのかもしれないんですけど、私はいかに自然に自分が支配するっていう捉え方ですね。日常用に関しても、競技用に関しても。

伊藤:日常用も競技用もなんですね。

高桑:そうですね。たぶん一生一緒に生きていかなきゃいけないので、本当にいい相棒、パートナーでありたいなって思います。

伊藤:「自分がちゃんとコントロールできるようしたい」というのは、道具を着けていることも意識からなくなるくらいまで、コントロールしたいということですか?

高桑:どうやったらきれいに歩けるかなってフッと考えたりしています。なので、それは完全に義足のことを意識してるってことですよね。やはり義足には、健足のように太い骨や筋肉は備わっていないので、どうしても血が通うって言っちゃうと健足と同じものを求めてしまいそうで、それが私はちょっと違うんじゃないかなって思っているんです。義足は義足でこいつの動き方が。

伊藤:"こいつ"のね(笑)。血は通ってないけど、情は通ってるという感じがしますね。確かに、健足に似せるということが目標じゃないですものね。

高桑:そうですね。同じ機能は求められないけど、同等のパフォーマンスはしてくれると信じています。そのために自分がどうやって扱っていくのかっていうのを、競技用の義足に関してはいつも考えてますし、日常用の義足でもたまにフッと思ったり。『今、うまく歩けてない』と思ったりすると、どうやったらうまく歩けるんだろうって考えたりします。

伊藤:チームワークみたいですね。

高桑:そうですね。

伊藤:パートナー、相棒......どういう呼び方が一番多いですか?

高桑:"相棒"って呼ぶことが多いですね。

伊藤:なるほど。以前にお話を聞いたときよりも、深く理解できた気がします。でも、いつか道具は古くなりますよね。

高桑:そうですね。昨年、さらに上のステップを目指そうと考えたときに、日本製の板に限界を感じたので、日本製から海外製(オズール社/アイスランド) のものにガラッと替えました。なので、ここ1年は、"そいつ"(義足)をどうやって使うかに試行錯誤していました。

伊藤:"こいつ""そいつ"って呼び方も、なんとなく高桑選手と義足の関係性が伝わっていいですね。

高桑:ありがとうございます(笑)。

伊藤:日本製と海外製では全然違うものですか?

高桑:はい。やっぱり日本製と海外製は反発の仕方が全く違うので、前への進み方とかも全然違うし、なおかつ、私は日本製しか使ったことがなかったので、どうやって使ったらいいのかわかりませんでした。私が買ったものは、海外ではポピュラーなメーカーでしたが、そのなかでも新しい型だったので、何も情報がありませんでした。

伊藤:それでも替える決断は自分でするんですよね。

高桑:最後はそうですね。今回はほんと情報がないっていうのが一番怖かったです。

伊藤:試し履きみたいなことはできたんですか?

高桑:できなかったんですよね。義肢装具士の方にも「ギャンブルだ」って言われました。だけど、『買ってみないと良いか悪いかわからない』って思って買いました。ただ、今年以降はこんな大きな変更はないと思います。

伊藤:それぐらいすごい変更だったんですね。でも、思い切ってやったというのは、やっぱりそれが今の自分に必要だったということですか?

高桑:はい、そうですね。この2、3年は、全くタイムが伸びていなかったんですけど、それが一気に突き抜けて、それで日本記録が出たので、替えて良かったなと思っています。

(つづく)

【プロフィール】
■高桑早生(たかくわ さき)・写真左
1992年5月26日生まれ。埼玉県出身。エイベックス所属。小学6年生のときに左足に骨肉腫が見つかり、3度の手術を経て中学1年生で左足ひざ下を切断した。中学校ではソフトテニス部に所属。高校入学と同時に陸上部に入部したが、元々の身体能力を生かし、陸上を始めて1年弱で日本代表に選出された。慶応義塾大学に進学すると、20歳でロンドンパラリンピックに初出場。女子100m、200m(T44クラス)で7位入賞を果たした。2014年には上尾市陸上競技選手権夏季大会で、100m(T44クラス)13秒69の日本記録を出した。

■伊藤数子(いとう かずこ)・写真右
新潟県出身。NPO法人STANDの代表理事。2020年に向けて始動した「東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」では顧問を務めている。2003年、電動車椅子サッカーのインターネット中継を企画、実施。それをきっかけにしてパラスポーツと深く関わるようになった。現在、パラスポーツの競技大会のインターネット中継はもちろん、パラスポーツの楽しみ方や、魅力を伝えるウェブサイト「挑戦者たち」でも編集長として自らの考えや、選手たちの思いを発信している。また、スポーツイベントや体験会を行なうなど、精力的に活動の場を広げ、2012年には「ようこそ、障害者スポーツへ」(廣済堂出版)」を出版した。

文●スポルティーバ text by Sportiva