何も食べない飲まないブレサリアンが存在するという

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 俳優の榎木孝明氏が5月19日から6月18日まで行ったという不食。30日間、水分と塩分補給の塩飴以外、何もとらなかったのだそうだ。榎木は9?やせたという。

 断食はわかるだろう。目的が宗教的な修行であれ、ダイエットであれ、食べない。断食を英語で言い換えるとファスティング。絶食は自分の意志ではなく、病気などで食事を食べられなくなった状態のこと。断食と絶食は、経験の有無はともかく、言葉として馴染みはある。しかし不食とは聞き慣れない。

 不食とは食べることをやめる行為だ。食べなきゃ死ぬだろうと普通は思う。食べなくても死なないのなら、餓死などこの世にはない。しかし世の中には例外がいるのだ。菜食の人をベジタリアンと呼ぶが、さらに果物しか食べない人をフルータリアン、液体しかとらない人をリキッダリアン、水すら飲まない人をブレサリアンという。ブレサリアンはブレス=呼吸のみで生きる人のことだ。霞を食べて生きている仙人の西洋版である。

6年間飲まず食わず生活

 東京工業大学理学部卒で弁護士の秋山佳胤氏もその1人。『食べない人たち』(マキノ出版)によれば、秋山氏がブレサリアンになったのは2008年のこと。長年の1日1食から始まり、徐々に食事の量を減らし、とうとう何も食べない・飲まない生活を始めてしまった。

 以来6年間、会食などでどうしても食べる必要がある時以外、秋山氏は食べず飲まず生きている。仮に週に一度、そうした機会に食事をしたとしても、6年間である!

 一日に成人男性が最低必要なカロリーは1200kcalという。カロリーの計算は、呼気や尿・便などで排泄された二酸化炭素の総量から逆算している。糖が体内で水と二酸化酸素に分解される過程でエネルギーに変わるので、寝たきりで何もしない状態で排出される二酸化炭素量を測れば、最低限の生命維持の糖の量、すなわち必須カロリーが算出できるというわけだ。

 これには異説もある。体内で生化学的に食物が分解されてエネルギーなる過程は非常に複雑だ。単純に二酸化炭素量だけで測っても、体内の各器官でエネルギーがどんな効率で使われているかまではわからない。エネルギー効率を上げれば、もっと少ないカロリーでも人は生きていけるらしいのだ。5〜600kcalでも人は健康に暮らせるという説もある。ということは1日1食で十分だ。アンチエイジングで名の知れた南雲吉則医師は1日1食、それも玄米のおにぎり1つと焼き魚程度しか食べないそうだ。このあたりが常識的な栄養摂取の下限ではないだろうか。

 人類の歴史は飢えとの戦いだった。何十万年も飢えと戦ってきた人類の代謝システムが低カロリーに強いことはわかっている。アフリカなどの原住民は、狩りの獲物を探して1週間以上もほとんど飲まず食わずで1日何十kmも歩く。

 私事で恐縮だが、父が病死する時、水も飲まず食べることもなく、点滴も打たなかった。それでもおよそ2カ月、生きていた。だから人間は、短い期間であれば、ほとんど食べなくても生きていける。

 しかしそれとブレサリアンはまったく別モノだ。いくら効率化したとしても、燃料ゼロで動く機械はない。ブレサリアンは食べ物以外のどこかからエネルギーを摂っている。そうでなければ確実に死ぬ。

 秋山氏は人間には宇宙のエネルギーを直接取り込む能力があるのだという。糖はエネルギーを放出しながら最終的に二酸化炭素と水に変わる。ならば、そのエネルギーはどこから来たのか? ということだ。二酸化炭素と水から糖を合成したのは植物である。植物が糖を合成するエネルギー源は太陽の光だ。食べ物はいわば太陽のエネルギーを蓄えた電池のようなものなのだ。そうであれば、太陽の光を直接体内に取り込めば、人間は食べ物という電池を食べる必要がなくなる?

 そんなことができるわけがない! 空中の電波をキャッチして、受信機なしでラジオを聞くようなものだ。だが、秋山氏をはじめ、ブレザリアンは世界に何人もいる。ほぼ絶食と言っていい状態で何年も何十年も生きているのだ。

 詐欺ではないとすれば、その事実をどう捉えればいいのか? 彼らが生きているのはなぜか? ……不食とは何か?

 不食は個人が世界と対峙する、過激で危険な実験なのだ。それは私たちの知らない宇宙の在り方を体感する手段である。食べることをやめる、それでも死なない自分が見つかった時、私たちの信じる世界は崩れ去る。見えている世界の皮がぺろりと剥がれ、むき出しの世界を前にすべての価値観が逆転する。

 科学的にあり得ないと、不食を否定するのはたやすい。しかし科学はまだまだ進み続けるだろう。常識は常に変わり続ける。不食が事実かどうか、その先に何があるのか、これからの研究を期待したい。

(取材・文/川口友万)