パーキンソン病で覚醒剤依存だった!? GongTo / Shutterstock.com

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 俳優の高知東生が、妻で女優の高島礼子の父が患うパーキンソン病の介護のため、秋にも芸能界を引退することがわかったが、パーキンソン病とはどんな症状が出るのだろうか? 時代は遡ってあのヒトラーがパーキンソン病だったのではとの見方がある。

 1945年7月中旬、アメリカ軍はウィリアム・F・ハインリッヒ陸軍情報部大佐をリーダーとするヒトラー捜索の調査チームをベルリンに派遣する。爆撃で被弾した穴を掘削調査するが、死体焼却の痕跡はない。AH(アドルフ・ヒトラー)のイニシャル入りの帽子とEB(エバ・ブラウン)のイニシャル入りのパンティだけを発見された。また、地下壕のヒトラーとエバが倒れていたソファに付着した血痕の血液型は不一致。ピストルの弾痕も発見できなかった。

 1946年10月17日付けの「ニューヨーク・タイムズ」紙は、「ソ連が発見したヒトラーの焼死体はニセ物だ。ヒトラーの死には何ら確実な証拠がない。世界中のいかなる保険会社でも保険金は下りないだろう。ヒトラーは生きている」というハインリッヒ大佐の衝撃的なコメントを掲載する。ちなみに、同時に発見されたエバとみられる女性の死体は、検視の結果、本人でないと確認。エバの死体の所在も不明のままだ。

 ヒトラー逃亡説を裏づける証言情報がある。ベルリン陥落の1945年4月30日午後4時15分。ベルリンに近いテンペルホフ空港に、兵士らを満載した飛行機が着陸。搭乗していた通信兵と砲兵は、燃料補給を待つ間、およそ100m離れた場所にヒトラーが立っているのを目撃。グレーの制服に身を包んだヒトラーは、見送りに来た数人の親衛隊の高官らと話を交わしていたという。4時30分頃、ヒトラーを乗せた飛行機が離陸。2人は、その夜の軍事ニュースでヒトラーの死を知り驚く。3時30分にヒトラーが自殺したとは知らない。終戦後、2人は、連合軍の調査に応じ、4時30分頃、テンペルホフ空港にいたのはヒトラー本人だったと主張した。

 1947年10月6日付の「ニューヨーク・タイムズ」紙は、ヒトラーは飛行機でデンマークに渡ったと報道。1948年1月16日付のチリの「ジグザグ」紙は、ドイツ空軍のキャプテンのピーター・ボムガードがヒトラーとエバ・ブラウンをテンペルホフ空港からナチス支配下のデンマークのトンダーまで脱出させたと報道。別の飛行機に乗り換え、ノルウェーのクリスチャンサンへ飛び、ドイツのUボート艦隊と合流したと報じた。1968年「ポリス・ギャゼット」紙は、「ヒトラーはアルゼンチンで生きている。飛行機でベルリンを脱出後、あらかじめ用意したUボートに乗り換えて逃亡した」という記事を掲載。記事よれば、1945年7月19日早朝、コロンビアのバイア・ホンダに上陸したヒトラーら6人は、現地でインディアン4人とドイツ人エージェント2人と合流。馬に乗り夜間にジャングルを移動。6日後にラ・ロマに到着。仮設の滑走路と2機の軽便機が待機していた。ヒトラーは3万ドルの入りのスーツケースを抱えたまま、あらかじめ用意されていた隠れ家へ向かったという。
 
 連合軍総司令官で元アメリカ大統領のドワイト・デヴィッド・アイゼンハワーは、「ヒトラーの死を証明する確証は何もない。多くの人が言うように、ヒトラーはベルリンから逃亡した。誰も反証を挙げられない」と語った。

 5000万人もの犠牲者を出した悲惨な第二次世界大戦を完全に終結させるための絶対条件、それはヒトラーの死だった。ソ連軍、連合軍だけでなく、世界中がヒトラーの死を待望した。ヒトラーは自殺せずに、ベルリンから国外へ逃亡したのだろうか?

ヒトラーはパーキンソン病だったのか?

 手足が震える、筋肉がこわばる、動作が遅くなる、歩きづらくなるなどの諸症状があるパーキンソン病。1817年、病態を初めて報告したイギリス人のジェームズ・パーキンソン医師の名にちなむ。パーキンソン病は、脳幹に属する中脳の黒質(こくしつ)と大脳の大脳基底核(だいのうきていかく)にある線条体(せんじょうたい)に異常を来して発症する。黒質に異常が起きると、正常な神経細胞が減少するため、神経伝達物質のドーパミンの量が低下し、黒質から線条体への情報伝達経路が阻害される。その結果、姿勢の維持や運動の速度調節がコントロールできにくくなるので、震え、こわばり、動作や姿勢の障害につながる。便秘、排尿障害、立ちくらみ、発汗異常などの自律神経症状やうつ症状を伴う場合も少なくない。

 1942年頃から、手の震え、痙攣、腸の痛みなどに悩んでいたというヒトラーは、パーキンソン病だったのか? 1年あまり続いた総統官邸の地下壕での生活は、疲労やストレスなどによる手の震え、足の引きずり、胃腸痙攣、偏頭痛などに追い打ちをかけたのか? 当時は治療法がなかったものの、主治医モレルは、ヒトラーの病状をパーキンソン病と診断していなかったフシがある。

 モレルは、ヒトラーが潰瘍を患っていたため、大量の薬や注射を処方する。覚醒剤のメタンフェタミンやコカインもあった。メタンフェタミンは、ドーパミンと似た神経系に強く作用する。秘書ユンゲの著作にも描かれているように、気力を失いつつあったヒトラーは、メタンフェタミンやコカインの注射で蘇り、症状を改善する兆しも見えていたのかもしれない。

 ただ、保続(ほぞく)の症状もあったと伝わる。保続とは、同じ言葉や行動を何度も繰り返すパーキンソン病によく現れる現象だ。同じ作戦に固執する傾向、途中から方針が変えられない融通の悪さ、誇大妄想的な強い興奮状態などは、メタンフェタミンの覚醒剤依存が引き金になった可能性も否めない。

 晩年のヒトラーは、健康を害し、判断力は衰えていた。だが、狂っていたのだろうか? 自己崩壊と破滅の美学に酔い痴れていたのだろうか? 18世紀の偉大な啓蒙君主、フリードリヒ大王を尊敬していたヒトラー。「フリードリヒ大王に比べたら私なんか、ただのクズだ」。死体は確認されていない。死の瞬間を目撃した人はいない。証言できる人は生存しない。ヒトラーとエバの死は永遠の謎に包まれたままだ。


佐藤博(さとう・ひろし)
大阪生まれ・育ちのジャーナリスト、プランナー、コピーライター、ルポライター、コラムニスト、翻訳者。同志社大学法学部法律学科卒業後、広告エージェンシー、広告企画プロダクションに勤務。1983年にダジュール・コーポレーションを設立。マーケティング・広告・出版・編集・広報に軸足をおき、起業家、経営者、各界の著名人、市井の市民をインタビューしながら、全国で取材活動中。医療従事者、セラピストなどの取材、エビデンスに基づいたデータ・学術論文の調査・研究・翻訳にも積極的に携わっている。