7人の世界的成功者が経験した、大失敗とは?ビル・ゲイツ「プレゼンで失敗、最新デバイスがお蔵入りに」

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世界の名だたる成功者たちも、一夜にして富や名声を手に入れたわけではありません。誰もが、失敗や挫折を経験しています。

ここではインターネットのトレンドを紹介するサイト「WittyFeed」から、ビル・ゲイツやイーロン・マスクといった面々の“失敗談”を、イラストで紹介します。

01.
先進的なデバイスを開発!
プレゼンに失敗してお蔵入り
ビル・ゲイツ

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当時17歳だったビル・ゲイツが最初に世に送り出したデバイス「Traf-O-Data 8008」のお話。これは、彼がシアトル市に交通量のデータ分析に用いるサービスを売り込もうとしたもの。しかし、プレゼンテーションの際にデモが動かず大恥をかいたそうです。

その時、シアトル市の職員を前にして、彼はこう叫んで母親を呼んだのだとか。

「ママ!さっきまではちゃんと動いてたって言ってくれよ!」

02.
最初のチキンが売れるまで
「1009回」断られた
カーネル・サンダース

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ケンタッキーフライドチキンの創業者であるカーネル・サンダースは、世界で初めてフランチャイズ方式を採用した人物としてもよく知られています。

そのきっかけは経営していたレストランの立地による業績不振だったそうですが、最初のフライドチキンをレストランに置いてもらえるまでには、合計1009回も断られ続けたのだとか。

65歳といえば、日本では年金を受取る年齢。そんな白髪のおじいちゃんが何度断られても諦めずに、最終的にレストラン経営で名の知られていたピート・ハーマンにその味を認めてもらうまで奔走したことを考えると…。お店の前に立ってる人形へのイメージも変わってしまうかもしれません。

03.
2度、高校受験で落ち、
30社以上、就活にも失敗。
ジャック・マー

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中国・アリババ社(阿里巴巴集団)の創業者ジャック・マーは、エリート社会として知られている中国で成功を収め、世界的に知られている超有名人物。ですが、彼自身エリートだったのかというとその実は正反対とも言える経歴の持ち主。

高校の統一試験にも2度落ち、3度目の試験で入学枠に対して志願者数も少ない広州師範学院の英語科になんとか入学。卒業後の就職活動では30社以上に断られていますが、彼だけが不合格になることもしばしば…。

さらに、アリババで成功するまでにも40社以上起業していますが、いずれも失敗。1999年に杭州にあったアパートでアリババを作り、Eコマースを始めました。その時、彼は30代。その年齢にして40社以上の起業と失敗を経験していると考えるととてつもないバイタリティ!

今やアリババの売り上げはeBayとアマゾンの合計を上回り、中国の国内総生産高(GDP)の2%を占めるに至っていますが、その絶対に諦めない姿勢には驚きます。

04.
会社の倉庫に泊まり込み
シャワーは地元のスタジアム
イーロン・マスク

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オンライン決済に革命を起こしたペイパル、電気自動車のテスラモーターズ、世界初の民間宇宙ロケット開発事業を行うスペースX、太陽エネルギーの発電装置などを開発販売するソーラーシティなどなど…。数々の事業のスケールもさることながら、その先見性は世界的にも評価されており、2013年にTIMES誌が発表した「世界でもっとも影響力のある100人」では、堂々と表紙を飾っています。

ここでイラストに書かれていることは失敗の部分ではありませんが、彼の目的への情熱を現しています。今や、スタイリッシュなイメージの彼ですが、会社に泊まりこんで、週に100時間以上にも及ぶハードワークをこなし、近くのスタジアムのシャワー室で体を洗っていたことも知られています。どうやら、中身は非常に泥臭く、努力家と言えそうです。

そんな彼は、どんな大きな失敗であれ「必要なことだった」と捉えているのだそう。彗星のように現れた革命児。その実、とても地道な努力を積み重ねるコツコツ人間だったのかもしれません。

05.
10代は難読症に悩んだ
リチャード・ブランソン

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トーマス・エジソン、アルベルト・アインシュタイン、トム・クルーズなど、難読症で知られている人は少なくありません。

ヴァージン・グループの創設者にして会長であり、豪快な人生を送っているイメージのある彼も、難読症を抱えるひとりでした。ビジネスシーンにおいて相当な困難があったことは想像に難くありません。

しかし、音楽業界での成功を皮切りに、航空業界でも成功、ついには宇宙旅行事業にも参入。何よりも“まずは行動”という生き方を体現している彼ですが、その行動力こそがこれまで成し遂げた数々の偉業の躍進に繋がっているのかもしれません。

06.
5度の破産経験
ヘンリー・フォード

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フォード・モーターの創設者で自動車産業の革命児、ヘンリー・フォード。彼も、フォード・モーター・カンパニーを設立するまでには幾度もの失敗を重ねています。

1899年に設立した自動車会社は、21台製造を行っただけで破産。その後も合計で5回の破産経験があります。が、何度でも立ち上がり、再度会社を設立しています。彼にとっては破産なんて特段大きな失敗ではなかったのかも。

その結果として、お金持ちしか購入することが出来なかった贅沢品を、大量生産して安く庶民に届けることを可能にしました。

当時は、庶民が自動車を持つというのは考えられないようなこと。そんな不可能を可能にしていった彼が今“自動車王”と呼ばれ伝説化している所以には、そういった不屈の精神も大きな要素としてあるのです。

07.
三河地震で工場が倒壊
全持ち株を売却し、1年間休業
本田宗一郎

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言わずと知れた本田技研工業の創業者。彼の伝説的な人生には数々のエピソードがありますが、ここでは2つの話がピックアップされています。

彼は、1937年(昭和12年)にエンジンに欠かせない素材としてピストンリングに目を付け、現在の静岡大学工学部機械科の聴講生となり、その開発に傾向しました。
しかし、2年かけて開発した製品も、トヨタへの納品の際には50本中3本しか合格判定がもらえず。その後、量産体制に入るまではさらに2年を要したそうです。

また、1945年(昭和20年)には三河地震により東海精機重工業浜松工場が倒壊。所有していた東海精機重工業の株を全て豊田自動織機に売却して退社し、1年間の“人間休業”に入ります。

世間が食糧難に苦しんでいる中、妻には「養ってくれ」と一言。その1年間は仕事らしいことは一切せずに、今で言う自分探しのような期間を過ごしたそう。

しかし、その翌年10月には、浜松市に本田技術研究所 を設立。それからというもの、未知の世界の開拓を通じて、新しい価値を創造するという、研究機関の本来在るべき姿を追い続け、世界的な企業へと発展していきました。

「失敗のない人生なんて面白くない」

今や日本のものづくりの原点とも呼ばれ、ヘンリー・フォード同様に伝説化している存在ですが、世界の名だたる成功者と同じく失敗をものともせず、その想いの強さで世界を先導した彼にも、うまくいかない時期や考える時間があったようです。

どの人物にも共通しているのは、情熱的で何事も諦めない不屈の精神にあると言えそう。仕事でミスして、へこんだりもしますが、彼らに比べればとても小さな悩みなのかもしれませんね。

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