ウインブルドンが、他のどの大会にもまして活躍したい大会――。かつては多くの日本人選手が、そう口をそろえたものだった。クルム伊達公子も、「子どものころは、ウインブルドンくらいしかテニスの大会を知らなかった」と言っていたほど。そのクルム伊達と同世代で、現在はテレビ解説者や指導者として活動する神尾米氏も、「テニス=ウインブルドン。ウインブルドンで1勝すれば、胸を張って日本に帰れると思っていた」と、テニスの聖地への熱い想いを口にした。

 日本においてはNHKが1987年から中継をしていたことも、同大会の圧倒的な人気と知名度の一端を担っているだろう。もちろん、130年以上の歴史を誇り、その鮮やかな緑の芝に英国の伝統ある階級社会や格式をしのばせるこの大会は、今なお世界中の選手が「最も優勝したいトーナメント」に名を挙げるほどの威光を放っている。

 錦織圭にとって、ウインブルドンとはどのような大会だろうか? 彼も、『テニスの聖地』に特別な想いを抱いているのだろうか?

 数年前、錦織本人にそのような問いを向けたとき、帰ってきた答えは、「フェデラーですね」。予想していなかったこの返答に思わず真意を掴みかねたが、錦織の言葉は、こう続く。

「とにかくフェデラーが強い、フェデラーが勝っている大会という印象が強いです」

 そういう意味だったのか、と合点がいく。さらには、錦織が抱く「ウインブルドン=フェデラー」のインパクトは、聖地におけるロジャー・フェデラー(スイス)の戦績と錦織のテニスキャリアを重ね合わせたとき、より深い趣(おもむき)を感じるものがある。

「テニス界が生んだ芸術品」とまで称賛されるフェデラーが、その流麗なプレースタイルで初めてウインブルドンを制したのは2003年。以降、2007年に到るまで5連覇を達成し、わけても2005年には、3回戦で1セットを失う以外はすべてストレート勝利――という圧巻の優勝を成し遂げた。

 2003年といえば、錦織が盛田正明テニスファンドの支援を受け、フロリダのIMGアカデミーに渡った年である。そして2005年〜2006年ごろは、錦織が全仏ジュニアのダブルスで優勝し、さらにはラファエル・ナダル(スペイン)の練習相手を務めるなど、トッププロの存在も徐々に身近に感じ始めたころ。つまり、フェデラーが芝を統べた時代とは、錦織がテニスの世界に生きることを決意し、プロの世界を「未来の戦場」と見始めた時期と見事なまでに符合する。

 ウインブルドンが「遥かなる憧れの聖地」だったころから時代は移ろい、その地を見つめる視座も変わった。少なくとも錦織圭にとって、ウインブルドンは憧れ以上に、リアルな戦いの場としての意識が強かったのだろう。

 では、戦いの場としてのウインブルドンと、錦織の相性はどうだろうか?

 錦織本人の想いや手ごたえは、テニス界における彼の立ち位置や目標地点に応じて、その時々で変化している。たとえば、ひじのケガから復帰した2010年ごろは、「思い切り打てばウイナーが決まる。自分には向いているのでは......」との手ごたえを口にした。2012年には、ウインブルドンで開催されたロンドンオリンピックでベスト8に進出。その当時、自分のテニスの方向性にやや迷いを抱えていた錦織は、芝の上での早い展開に自身のテニスの原点である「攻める喜び」を取り戻した。

 その一方で、芝の瑞々しさに足もとのグリップを奪われ、フットワークの難しさを常々感じさせられてもいる。「僕の最大の持ち味である、細かく切り返すフットワークが生かせない」。2013年ごろには、そのような困惑も漏らしている。また、高速サーブが効果的でラリーが長続きしないことも、駆け引きの妙を堪能したい錦織を時おり悩ませた。時速200キロを超えるビッグサーバーとの対戦が続いた昨年は、「集中力を維持するのが最大の課題」とコメントを残している。なお、錦織の芝のコートでのキャリア通算勝率は56.1パーセント。これは、ハードの67.2パーセント、クレーの69.7パーセントよりも低い数字である。

 錦織がそれらの所感を抱き、かつてフェデラーが席巻したウインブルドンのコートの特性とは、端的にまとめてしまうと以下のようなものになるだろう。バウンドが低く、球足が速い。ボールはバウンド後、勢いをそがれることなく、芝の上を滑るように跳ねる。ゆえにウイナーが決まりやすく、ラリーは短く終わることが多い......。これらの理由から、サーブが速い選手、さらにはサーブからネットに素早く詰めてボレーを決める「サーブ&ボレー」のスタイルが効果的とされる。

 また、「スライス」が効果的なのも、芝の特性だ。ボールの下を切るように打って逆回転を掛けるスライスショットは、バウンド後に軌道を変えて低く跳ねる。芝ではその特性に拍車が掛かり、一層処理の困難な魔球と化す。バックハンドを片手で打つ選手に有利とされるのも、このような理由からだ。

 1990年代から2000年代初頭にかけて活躍したピート・サンプラス(アメリカ)やフェデラーといったウインブルドンを7度も制した彼らは、いずれも上記の条件を揃えている。

 ところが......である。それら「芝の王者」を規定する条件に、近年、明らかな揺らぎが見られる。2008年以降のウインブルドンのタイトルは、フェデラーとナダル、そしてノバク・ジョコビッチ(セルビア)が2度ずつで分け合い、2013年にはアンディ・マリー(イギリス)も地元で悲願の戴冠を果たした。これらフェデラー以外の3人の覇者は、「赤土の王者」ナダルを筆頭に、いずれも堅牢な守備と長いラリーを得手とするベースライナー。従来のウインブルドン覇者のイメージとは、やや趣を異にする選手たちである。

 その理由を解く要因を明瞭に語ったのは、錦織のコーチであるマイケル・チャンだ。最近行なわれた『スポーツ・イラストレイテッド』電子版でのインタビューで、チャンは次のように答えている。

「招待部門(引退した選手によるエキシビションマッチ)で、久しぶりにウインブルドンでプレーしたのは2007年だった。最初にボールを打ち合ったとき、思わず周りを見渡して、『これはいったい、何事だ!?』と叫んでしまったよ」

 最後に現役選手としてウインブルドンに参戦した2002年以来、5年ぶりに聖地に立ったチャンを驚かせたのは、芝の変化だったという。

「僕が現役でやっていたころのウインブルドンは、ボールがひざより上でバウンドすることは、まずなかった。それが今では、腰のあたりまで跳ね上がる。スライスのバウンドも、まったく違う。以前はスライスを打たれると、くるぶしより下に飛んでくるような感じだったが、今はそうでもない」

 このような所感は、実はチャンだけではなく、多くの現役ベテラン選手たちも述べていることだ。テニスは一時期、サーブの比重が高くなりすぎ、ラリーがつながらずつまらなくなった......との批判の声を受けたことがある。そのため、コートを遅くしようとの動きが起き、ウインブルドンもそのような時流にならったとの見方は強い。ただ、ウインブルドンの運営側は、「我々は芝の種類や長さ、手入れ方法に到るまで、この何十年一度も変えていない」と、変更説を完全否定しているのだが......。

 引き続き、チャンの分析。

「ATP(男子プロテニス協会)が出場義務化のルールを厳しくしたことも大きいだろう。僕たちのころは、最初から芝での活躍をあきらめたスペインの選手たちは、ウインブルドンに出ないこともよくあった。でも今は、みんなが参戦しなくてはいけない。だからウインブルドンの戦いも、以前より選手層が厚くなり過酷になっている」

 今大会はそのような混戦の傾向が、より強まるのでは......と、チャンは予測している。なぜなら、今年は全仏オープンとウインブルドンの期間が、昨年までの2週間から3週間に延びたからだ。芝への準備期間が1週間増えたことにより、全仏で終盤まで勝ち上がった選手たちも、芝に十分順応できるようになるだろうとチャンは見る。

 競技そのものの拡張に伴って選手層が厚くなり、アスリート個々の能力も限界まで研ぎ澄まされた昨今のテニス界では、一芸に秀でたスペシャリストが「コートとの相性」で勝てる余地は急激に狭まっている。新世代の追い上げにより、過去10年で最大の群雄割拠の時代を迎えているのも、間違いない。世の移ろいとともに、ウインブルドンの伝統も聖地の意味も変遷しつつある。

 その中心に、テニスの革新やグローバル化の象徴たる、錦織圭がいる――。芝は必ずしも、錦織にとって優位なコートではない。それでも彼の戦いは、初夏の聖地でも、テニスの未来を指し示す。

内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki