会見で「19回ほど決定機を作りながら、このような結果になったのは初めて」と語った指揮官。アジア勢の徹底した守備戦術と、日本サッカーの課題に向き合う結果となった。 写真:小倉直樹(サッカーダイジェスト写真部)

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 試合終了とともに降り始めた雨のなか、選手たちが場内を一周し、スタンドに向かって挨拶をしていく。サポーターからブーイングを受けても、いつもと変わらぬ振る舞いをしなければならない姿が、この日、日本代表が犯したミスの大きさを物語っているようで、痛々しく見えた。
 
 一方で、数人の選手は観客席に知り合いの姿を見つけたのか、時折笑顔を見せて手を振っていた。たしかに、この引き分けでロシア・ワールドカップ行きの道が閉ざされたわけではない。ほんの少しの運さえあれば、楽に勝てたほどチャンスの山を築くなど、すべてが絶望的に悪かったわけではない。
 
 だが日本は、ホームでFIFAランク154位のシンガポールを相手に、「勝点1」しか手にできなかった。その状況にピッチに立っていた何人の選手が試合中から危機感を覚え、終了のホイッスルが鳴るまで勝点3を求めて必死に戦ったのだろうか。
 
「こういう試合になってしまうと、カウンターアタックから1点を奪われて負けるパターンも想定できた」と振り返ったヴァイッド・ハリルホジッチ監督が、守備陣にリスクマネジメントを要求したのは分かるが、選手がそれを過剰に受け止めた気がしてならない。
 
 特に後半、シンガポールは1トップも自陣に下がって守備に追われる状況で、果たして3人も4人もハーフライン付近に残る必要はあったのだろうか。前線に人が密集し、ゲームが硬直していたからこそ、相手の守備網をかき乱すような後方からの働きかけが欲しかった。
 
 かつて同じような状況に陥った時、日本代表や千葉を率いたイビチャ・オシム監督は、選手に「考えろ」と口酸っぱく言い、後方に必要以上に余っていた選手を叱責した。チームとしての約束事があっても、試合展開に応じて個々が考え、動く。
 
 選手側からしたら、”教師タイプ”のハリルホジッチ監督が就任したばかりで、指示に従わなければメンバーから外される恐怖心が強くあったのかもしれない。どこか淡々と無難なプレーを選択し、大胆さに欠けていたサッカーを眺めながら、このチームがまだ出来立ての、未成熟な組織であることを再認識させられた。
 
 そして就任からの約3か月間で、Jリーグ視察や映像によって約520試合をチェックしたと言っていたハリルホジッチ監督は、この引き分けによって日本が抱える課題と、アジアサッカーの現実に真の意味で向き合うことになったはずだ。
 もっとも観る側からしたら、この想定外の引き分けによって”楽しみ”が増えたのは間違いない。過去を振り返ってみても、歴代の日本代表のターニングポイントに「失望」は付き物だからだ。
 
 ワールドカップ予選で例を挙げるなら、2008年3月に行なわれた南アフリカ大会のアジア3次予選2節、敵地でのバーレーン戦だろう。前年11月にオシム前監督が病に倒れたことでチームを引き継いだ岡田武史監督は、予選開幕まで時間がなかったこともあり、まずは前体制の基盤を壊さずにチーム作りを進めた。
 
 しかし、この試合でバーレーンに0-1で敗れると、帰国後に「これからは俺のやり方でやる」と宣言。約2か月後に控えていた3次予選の残り4試合に向けて、緊急の国内組合宿を実施するなど、改革を推し進めていく。
 
 こうして姿を現わしたのが、その後長く日本代表の基本システムとなる4-2-3-1の採用と、「遠藤保仁×長谷部誠」の2ボランチの結成、そして左SB長友佑都の抜擢だった。
 
 就任からワールドカップ予選開幕までの時間が短かったのは、今回のハリルホジッチ監督も同じ。3月の2連戦と5月の代表候補合宿で、「縦に速い攻撃」などすでに自らのカラーを発信しているが、シンガポール戦の引き分けによってアジアサッカーの現実を知り、現チームのメンバーや戦術を再考しやすい状況になったのは確かだ。