『教育という病 子どもと先生を苦しめる「教育リスク」』(光文社新書)

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 まずは具体的な数値を並べてみたい。1983〜2013年度の過去31年間に運動部の部活動で850人が命を落とし、同じ期間に学校柔道では118名が死亡している。運動会の花形種目である組体操では、2012年度の統計で6533件の負傷件数が確認されている。教育現場で繰り返されてきた事故はその都度精査されることなく、「(スポーツや運動会には)怪我がつきもの」という常套句で済まされ、次なる事故を呼び込んできた。

『教育という病』(光文社新書)の著者・内田良氏は、これを教育の世界に蔓延る「つきもの論」だとする。内田氏が、死亡事故が相次いでいた柔道事故を世に問うたときには「柔道に怪我はつきもの」と返され、巨大化・高層化する組体操の危険を訴えても「怪我はつきもの」が繰り返され、多様な家族形態に配慮しない「1/2成人式(10歳になった節目を親子で祝う学校行事)」の問題点を指摘しても、「どんな行事や授業も、それを不満に思う子供はいる」で済まされた。

 本書を読みながら、「ジャスティス・ハイ」という言葉を思い出した。「創作時事用語コンテスト2014」で優秀賞を獲った言葉なのだが、そのネーミングセンスに膝を打った記憶がある。その意味は「不祥事を起こした人を徹底的に叩くことで気持ち良くなり、歯止めが効かなくなっている状態」。今の世相を巧妙に掬いとったこの「ハイ」に、もう一つのベクトルを加えたくなる。つまり、自分達が行なっている行為が「ジャスティス」だと信じ込んで「ハイ」になっている状態において、そこで生じるネガティブな事象についてどこまでも鈍感になる、という意味だ。

「『感動』や『子どものため』という眩い教育目標は、そこに潜む多大なリスクを見えなくさせる」と内田氏は言う。教育課程での事故は「非教育的だからこそ生じるのではなく、まさに教育的だから生じるものである」と指摘するが、「感動」「気合」「我慢」「涙」という不安定な言葉を自信満々に連呼することで気付かないようにしてきた面々は「何でもかんでも危険視するな」と避ける。教育社会学者である内田氏は、ジャスティスでハイになるのではなく、エビデンス(科学的根拠)をクールに指し示し、問い質す。

「感動」を高め合うように巨大化・高層化が進む組体操、なんと人間ピラミッドは中学校で最大10段、高校で最大11段という記録が出ているというから驚く。組体操は、文科省が定める学習指導要領に記載がないが、記載がないからこそ、「感動」の巨大化に歯止めがかからない。人間が組んだ不安定な土台に、教師や親からの勢い任せの不安定な言葉が飛び交う。例えば12年度には、後遺症が残るほどの事故が小学校で3件ほど生じているし、過去には「8段ピラミッドの最下段にいた生徒が、ピラミッドの崩壊により頸髄損傷を負い全身不随に至ったケース」すらあったというのに、その規模は年々膨らんでいく。

 内田氏の分析によれば、10段ピラミッド(約151人)で、最も負担の大きい生徒では約200キロもの負荷がかかることになる。これは「歪みのない基本形にしたがって算出したものであり、ピラミッドが歪みをもった瞬間」にはその値はもっと大きくなるという。仲間と一緒にひとつのことをやり遂げたくなる(やり遂げさせたくなる)気持ちも分かるが、誰か一人でもバランスを崩せば、その仲間たち全員がとてつもない危機に晒されるのである。

 厚生労働省「労働安全衛生規則」を引っ張り出しているのが切実だ。2メートル以上の場所で労働作業を行う場合には、安全確保のために「囲い、手すり、覆い等」を設ける規則が定められている。大人に対してこのような規則が強固に設けられているというのに、子どもの組体操は、体一つで自分の背丈の数倍もの高さに立たされるのである。組体操の成功法を指南する書籍を出している関西体育授業研究会の事務局担当者は、あるウェブマガジンのインタビューに「何度も失敗を重ねながら、何度も練習を積んでいくからこそ、その信頼がうまれていくのです。保護者たちも、子どもたちのその努力を知っているからこそ、感動してくれるのです。そして、私たち教員も、その過程を知っているからこそ、ピラミッドが完成したとき目に涙を浮かべるのです」と、事故のリスクを感動で乗り越えるのが組体操である、とその狙いを明かしてしまっている。

 本書では、柔道事故がこれまでいかに放置されていたか、精神論で片付けられてきたかについても細かに記されている。「しごき」「特訓」という名の元に、大きな身体の先生が、小さな子供を平然と投げ飛ばしてきた柔道の世界。たとえ「具合が悪い、頭痛がする」と申し出ても「気合が足りない」で済まされてしまい、不慮の事故をいたずらに積み重ねてきたのだ。

 先日、残念ながら福岡県の中学校で柔道による死亡事故が起きてしまったが、09年に4件、10年に7 件、11年に3件と起きていた柔道による死亡事故は、12年から14年まで1件も起きていなかった。著者は直接には記さないが、この柔道事故の急速な改善は、内田氏による警鐘の成果である。死亡事故を集積し発表したことが、柔道界が方針を改めることにつながった。06年版の全柔連『柔道の安全指導』では重大事故について「原因はほとんどが不可抗力的なもの」としていたが、11年版では「事故要因の分析は、指導者や管理者が安全対策を講じるうえで欠かせない」と改まった。確かな数値を提示されたことで、闇雲な気合を見直さなければならなくなった。

 本書では、組体操や柔道事故の議論の他に、「1/2成人式」「部活動顧問の過重負担」なども詳しく議論されている。著者は議論に持ち込んでいないが、本書で取り上げられた教育現場の諸問題を知るにつけ、18年度から教科化される「道徳」との絡みが否応にも気にかかる。ひとまずは、それぞれの成績表に5段階などの数値ではなく記述式で評価されることになる。昨年11月、中教審が下村博文文科相に提出した答申では「指導要領に『誠実』『正義』などのキーワードを明示して分かりやすく」(47NEWSより)してほしいと申し出たし、第一次安倍内閣が発足させた「教育再生会議(現・教育再生実行会議)」では、07年の報告書で「感動を与える教科書を作る」と本音が見え透ける言葉を入れこんでしまっている。

 つまり、道徳の教科化やあるべき教科書が議論されるなかで、「正義」「感動」といった言葉を機能させようとしているのだ。言うまでもなくこれらには、内田氏の「『感動』や『子どものため』という眩い教育目標は、そこに潜む多大なリスクを見えなくさせる」という懸念をそのまま向けたくなる。

 今やこの眩い目標は教育現場だけではなく、国家の最たるところでも使われている。例えば、4月、米国連邦議会上下両院合同会議における安倍内閣総理大臣演説は、「力を合わせ、世界をもっとはるかに良い場所にしていこうではありませんか。希望の同盟。一緒でなら、きっとできます」で締めくくられた。ロジックよりもフィーリング。なんとも「巨大ピラミッド的思考」ではないか。

 教育の場で繰り返される「ジャスティス」。今こそ、その「ハイ」をクールダウンさせるべきだろう。確かにスポーツに「気合」は大事だ。アドレナリンが出て、成果が突出することもあるだろう。しかし、その「気合」は時に人を傷つける。ならばそちらをケアしなくてどうする。内田氏の冷静な分析が、教育現場に蔓延る無自覚の病理をあぶり出している。
(武田砂鉄)