介護職の成り手がいない!(写真はイメージです)

写真拡大

 介護・福祉業界の人材不足の加速化が止まらない。全国の介護福祉士を養成する大学・専門学校の数は2008年度には507課程(434校)だったが、2013年度には412課程(378校)へと5年で約2割の減少をみせた(『毎日新聞』5月26日付)。激務に加え、給与面での待遇の悪さがその理由だ。

「40代でも月収20万円も貰えれば好待遇でしょう。年収350万円もあれば福祉業界では“高給取り”です。社会にとって重要な仕事なので給与面から何とか是正したいところですが、現状では厳しいものがあります。このままだと福祉に人材が集まらなくなってしまう」(厚生労働省関係者)

 実際、40代でも月収20万円を切るのが福祉業界ではさほど珍しいことではない。正職員といえども身分は不安定、かつ低収入だ。

「20年前、地場メーカー勤務から福祉の世界に転じました。人に喜んで頂ける仕事がしたいなと。でも当時で月収は13万円でした。収入はメーカー時代の半分以下です。今では昇給しましたがそれでも月収は16万円です。ボーナスは冬に1か月分、夏に1か月分、年収は約230万円です」

 こう話すのは関西で主に認知症罹患者を預かるデイ・サービスや24時間体制の有料老人ホームを展開している福祉法人で勤務する山藤啓治さん(仮名・44歳)だ。シフト勤務だが週休2日、月に2度の夜勤もあるが、職場への不満はさほどないと語る。

かつて勤めていた職場の同期の年収は650万円

「お世話させて頂いている人生の先輩方と接することで自分も元気をわけて頂いていますから。やりがいは半端ないですよ」(山藤さん)

 だが、給与面となると不満は募る。山藤さんの大学同級生で一番の高給取りは年収1300万円の外資系金融機関勤務、在京キー局勤務の年収1200万円が後に続く。かつて勤務していた地場メーカーの同期でも年収650万円だ。外資系金融、在京キー局に比して約半分の年収だが、福祉業界に転じた山藤さんにとっては、かつての職場の給与はとてつもなく高額所得に映る。正直、職場を離れたことに多少の後悔の気持ちもある話す。

「大学の同級生たちと飲んだ時など、皆、『お前、大丈夫か? ここは俺が持つから』と気を遣ってくれます。自分たちの先輩のなかには、『福祉という崇高な仕事に携わっているのだから遠慮するな』という人もいます。でも自分はそこまで開き直れません」(同)

 年収230万円では、日々の生活も厳しい。結婚したくとも収入面で難しい。かつて2人ほど交際した女性もいたが、同じ福祉業界で働く者同士でも実家という壁が立ちはだかった。

「10年程前に交際した女性のご両親からは、『もっと年収のいい業界に転職するならば』という条件をのまなければ結婚は認めないと。5年前に交際した女性のご両親もそうでした。あまりにも年収面で不安があると。実際、60歳を超えた両親と同居。親がかりでの生活なので、あまり偉そうなことはいえませんが……」(同)

 山藤さんのこうした状況をみかねた両親は、地元の結婚相談所に相談した。だが結婚相談所からは、こう言われたという。

「とても大事なお仕事をされていらっしゃることはわかります。でも年収350万円以上はなければお世話することは難しいです。いくら正社員でも厳しい……」

年に2度、自腹で酒を飲み、風俗に行き憂さを晴らす

 結婚も出来ず、かといって40歳も半ばを迎えた年齢で今さら転職も出来ない。小遣いは毎月2万円。休日はスマホで無料映画三昧だ。年に2度、スナックで2万円程度の予算で酒を飲み、指名料込みで1万5000円ほどのファッションヘルスに行き、憂さを晴らす。それが楽しみだ。

 毎日の食事は、昼は激安で知られるドラッグストアで買ったカップラーメンかパンで済ます。昼食代は200円以内。夜はスーパーの半額になった弁当や惣菜で腹を満たす。今の夢は、ワンコインのコンビニ弁当を昼に食べること、だ。

「親に渡すお金が月7万円。残りはインターネットのプロバイダー代金や中古で買った車の維持費です。貯金は毎月5万円しています。老後を考えるととても蓄えとはいえません。病気でもするとどうなるか。不安です」(同)

 厚生労働省によると、10年後の2025年には全国で約700万人になると予測、65歳以上の約20%、5人に1人という計算だ。進み行く高齢化社会の受け皿である福祉業界の待遇改善を早期に図らなければ10年後、介護を受けられない人が出る恐れがある。今こそ、手を打たなければ後に悔いを残す。急ぎ手を打つことが必要だ。

(取材・文/秋山謙一郎)