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今、ニッポンにはこの夢の力が必要だ!

2020年東京五輪を見据えた新国立競技場の建設にあたり、大きな後退の時が迫ってきたようです。6日、スポーツ報知がフライング気味に報じたところによると、政府・文科省などは新国立競技場建築に関するザハ・ハディット氏とのデザイン監修契約を解除する方針であるというのです。

大きな根っこの部分の問題としては、ザハ氏の案にあった「キールアーチ」と呼ばれる約400メートルの巨大な橋梁状の構造が、建築費・工期の観点から実現が極めて難しいという点があります。すでに一部構造を縮小した変更案にて設計・見積もり等は進められているものの、このキールアーチが存在する限り、費用・工期を劇的に縮小する見込みが立たないことが、新国立競技場の建築が遅々として進まないネックとなっていました。

そこで、「そもそもキールアーチごとなかったことにしてくれませんかね?」という再変更をザハ氏に提案してみて、もしそこでこじれるようなら違約金を支払ってでもデザイン監修契約を解除し、ザハ案ごとなかったことにして別の案を出そうという方針である…記事の趣旨としてはそのような話になります。

「地上に橋を架けるようなもの」と実務派からは評されるこの構造ですが、それはデザインの根幹を成す部分でもあります。ここを取っ払うのであれば、それはザハ氏にとっても自分のデザインではなくなりますし、そのデザインを選んだ理由もなくなります。「案」を選んだコンペで、案を換骨奪胎させるなら、最初から自分で作れと。仮に契約解除に至らず、「まぁ適当にとっときますわ」と再変更案が出てきたとしても、それはすでに「選んだ」デザインではないのです。交渉するなら「修正案ではなく別案をくれ」しかありません。それを飲むかは先方次第ですが。

まぁ往々にして、このような横槍突きまくりの末にできあがるデザインはゴミと相場が決まっています。デザインの根幹を横槍で捻じ曲げるくらいなら、捨ててやり直したほうがマシというもの。ザハ新案なのか、新たな建築家によるものなのかはさておき。2012年まで無為に時間を引き返すことになったとしても、ゴミを作るよりはマシです。

<新国立設計ザハ氏と契約解除へ…文科省など検討>

2020年東京五輪・パラリンピックのメイン会場となる新国立競技場(東京都新宿区)の整備計画が大幅に見直される問題で、文部科学省などがデザイン監修者としたイラク出身のザハ・ハディド氏(英在住)の事務所との契約解除を検討していることが5日、分かった。政府関係者が明らかにした。ザハ・ハディド・アーキテクツ側と設計を変更するよう交渉を行い、不調に終わった場合、契約を解除する方針だ。

http://www.hochi.co.jp/topics/20150606-OHT1T50032.html

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「夢・時間・金」の順であるべきものを「金・時間・夢」にしてしまった

記事にあるような事態となれば、ほれ見たことかと多数の批判が巻き起こることでしょう。「ほれ、最初から無理だと言っておっただろう」という他人の意見受け売り野郎。「こんなくだらんことに金を使うな」という倹約至上主義者。「そもそも五輪などやらんでよい」という論点すり替え反対派。まぁ、どんな意見を持つことも自由であるのが日本の素晴らしいところでもあるので、そうした意見も尊重はします。

ただ、そうした意見の真逆の位置から東京五輪に強く賛同する都民としては、関係筋にはここで折れるなと言いたい。そして、ここまでの道のりは決して間違っていたものではないから悔やむなと。そもそも当初案の実現が難しいことについては、コンペの段階から指摘されていたこと。何も、改めて実務派に指摘されるまでもなく、難しいだろうことは承知の上での選択でした。「橋梁ともいうべき象徴的なアーチ状主架構の実現は、現代日本の建設技術の粋を尽くすべき挑戦となるものである」と選評でも記されています。

このコンペでの軸はただひとつ「夢」でした。実現可能性、メンテナンスの簡便さなど「現実」は頭の片隅に置きつつも、最終的に一本軸としたのは「そこに夢があるか」どうかです。漏れ聞こえてくる審査委員の講評などにおいても、その軸は貫かれています。逆に言えば、どれだけ優れた案であっても「夢」のない案は除外された、そういうコンペだったはずです。

それは何故か。夢が必要だったからです。

2016年大会招致活動と2020年大会招致活動の決定的違いは、「夢を必要とする」日本の強い意志です。少子高齢化など未来への暗鬱さを抱える日本社会と、2011年に起きた大きな悲しみ。日本はこのまま終わってしまうのではないかという言い知れぬ不安が広がる中で、もう一度日本に夢を見よう、日をまた昇らせようとする意志が2020年大会招致にはあった。招致にあたっての当時の首相の姿勢の違いは、招致都市のみならずどれだけ国としてこの大会を求めているかを明確に示していました。

<今、ニッポンにはこの夢の力が必要だ>


単に五輪の開会式をやるだけなら、お台場にソコソコのヤツを建てれば済む話。500億円もあればキレイなヤツが建つでしょう。第二・味の素スタジアムみたいものが。だが、そもそもそういう話ではないのです。第二・味の素スタジアムに何の夢があるというのか。「夢の島に建ってるから夢があります」なんてダジャレでも言う気なのか。8万人入れて開会式ができる箱があればいいのではない。五輪という機会を通じて、もう一度日本に自信と誇りと夢を持てるような社会づくりをしていく……その象徴となるのが新国立競技場なのです。

ザハ案については、あんなもの建てようとするなんて高度経済成長期ばりのプロジェクトXでもやる気か、という非現実感を覚える人もいるでしょう。それで合っています。プロジェクトXをやるための案なのです。極めて難しい、しかし、もしこれができたなら我々の大きな誇りとなる。そういう「夢」を軸に選んだ案なのですから、現実離れしていて当たり前なのです。

ほかのスタジアムが500〜800億円くらいで作っているのに、2000億円とか3000億円かかるのは、確かにアホみたいな額です。が、金で夢は買えないのです。今、ニッポンが求めているのは、五輪の経済効果でも、新たな箱モノでもありません。「夢」です。未来を明るくするチカラです。だからこそ、聖地を使う意味もあるのです。お台場の空き地ではなく。

聖地に建てるべきは「箱」ではなく「街」です。新たな文化の中心地となり、活力を生み出していく「街」です。箱の建築費としてはアホのような金額でも、街の金額として見ればおかしな額ではありません。六本木ヒルズの総事業費は2700億円で、東京ディズニーシーの総事業費は3350億円だとされています。「街」を買うにはそのぐらい金がかかるのです。

今回の悶着はひとえに「金をケチった」という点に尽きます。夢を選んだ。時間はあった。しかし、金をケチった。「金」に心を揺らしたことによって、反対派に突っ込まれる隙を与え、一番大切な「夢」を失いました。あまつさえ、夢ばかりか時間までも失いました。新国立競技場、ひいては東京五輪がこの流れのまま「ソコソコのもの」へと落ち着いていくなら、「この先、半世紀はないであろう五輪という機会」を無駄にやり過ごすことになるでしょう。それは自室に引きこもって過ごす青春のように、とても虚しいことだと思います。悔やんでも、それはもう帰ってこないのです。





もう一度、新国立競技場が「夢」の象徴となるために

とは言え、僕も意固地になっているわけではなく、ザハ案でなければダメというつもりは毛頭ありません。姿勢の問題です。挑戦しようという気持ちを失い、金をケチってソコソコのものにするのでなければ、別の案でも構いません。デザインの好みは多少言うかもしれませんが、建築・土木に踏み込んで「どちらの案が優れている」なんて口出す気はサラサラないのです。

理想としては、最初から日本の建築家による案で決まっていてほしかった。旧国立競技場、そして現在も残る代々木体育館を設計した丹下健三さんのように、日本の誇りとなる人物の手で新国立競技場を作ってほしい。そのほうが、むしろ大きな「夢」を見られるというものです。

ただ、コンペの結果としても、また個人的な感想としても、掲げられた案の中にザハ案ほどの「夢」はなかった。キレイでカッコイイものではあるけれども、それを超えるような何かを感じることができずにいるというのが率直な感想です。屋根の形がちょっと違うのかなぁという案ばかりで、「うわっ!スゴイ!!」とワクワクすることはできない。

あまり横文字は好きではないですが、イノベーション的なるものがない。

iPodやiPhoneが出てきたときのような、「何コレ!」「理解不能!」「でも何かスゴそう!」とワクワクしたいのです。ところが対案となるものは、現実を最初から盛り込むがゆえか、突破できそうにない困難を賢く回避するがゆえか、想像力の欠如なのか、どこかで見たことあるような、突き抜けたところのない感じの案ばかり。そうやって、ずっとイノベーション勢に負けつづけてきた日本から、ガツンとやり返すような提案がほしかった。

もし、デザインに立ち戻ることになるなら、日本のトップランナーにはもっともっと大きな夢を出してきてもらいたい。見たことがないもの。想像だにしなかったもの。ワクワクする気持ちを生むもの。エコとか法律とか制約の中で描くのではなく、でっかい夢を描いて出してきてもらいたい。おそらくは、それこそが2012年に各位の案が選ばれなかった理由であり、もしかしたらもう一度問われるかもしれないものです。屋根にソーラーパネルとかつけなくていいです。

iPodやiPhoneが市場を塗り替えていくとき、買っている人が技術に詳しくて買っているはずもありません。わからない人に、何かを感じさせるから、スゴイのです。技術や現実を軸に、自分のほうがいい案だとかアイツのはダメな案だなんてやっているのはカッコ悪い。効果の薄い戦いです。

先日も、新国立競技場建築計画に反対する日本のトップランナーが記者会見を行なっていました。橋梁状の構造を止めれば工費が下がるという主張の再提示でした。その際、非常に残念に思ったのが、その会見で掲げられた図が手書きのメモであったこと。意見自体はもっともなものなのですが、「夢」という土俵に乗ってこない現実論では、この問題は解決できないのです。

この案のほうが大きな「夢」がある。しかも現実的である。現実で説得をするのではなく、夢で説得してほしい。ましてデザインごとひっくり返そうという反対なのですから、デザインを持ってきてこそでしょう。より大きな夢を見て、その値段が1000億円安いということであれば、今すぐ乗ることもやぶさかではないのです。

タダ働きを強いるわけにもいかないので、あくまでも気概があればという話ではありますが、日本のトップランナーには仕上がりのデザイン新案を提示して、「こっちのほうがいいだろ?」というアクションを起こしてほしいもの。「無理そうなのでとりあえず止めます」を先に言わせるだけが能ではない。「そっちのほうがイイので前のを捨てよう」と思わせるように、先回りしてもらいたい。2012年に審査の軸を読み違えたことへの、リベンジという気持ちでもって。

<こうすりゃイイというのはわかるが、どうなるのかがまったく見えないメモ書きでの提案>


<メモから一歩進んだバージョンでの、やっぱりどうなるのかが見えない提案>



金で時間は買えない!金で夢は買えない!迷ったら金で泣け!