企業のトップは、それだけで「成功者」である。そこに至るまでには、多くの人生の岐路、苦悩、失敗があり、ピンチを乗り越えチャンスを掴んできたことも間違いない。それを実現した武器は何か。トップとしてどんな哲学で会社を舵取りしているのか。作家の杉山隆男氏が迫る新シリーズ第1回は、「写真フィルム会社」からの大転換を果たした富士フイルムホールディングスの古森重浪馗垢吠垢。

──古森さんが2000年に社長を引き受けたとき、富士フイルムだけでなく、フィルムを取り巻く世界は、実はとんでもない状況におかれていた。

古森:ええ、私が社長になった2000年、カラーフィルムなど写真感光材料の売り上げはピークだったんですが、もうデジタル化、つまりフィルムレスの時代がそこまで来ていたのです。写真関連事業は会社全体の売り上げの6割を占め、利益でいえば7割近くになっていました。ところが翌年から10%くらいずつ売り上げが減っていき、私がCEOに就任した2003年以降、ドドドーッと一気に落ちたんです。

──デジタル化にはまだまだ時間がかかるだろうという読みも一方ではあった。

古森:印刷や医療の世界ではデジタル化の波が確実に来ていましたが、より鮮明な解像度が求められる写真の世界では、デジタルが主役になる時代はもっと先だろうと考えてました。何しろデジタルはフィルムと違って圧倒的に画質が悪かった。

 それでも富士フイルムはすでに1980年代からデジタルカメラの研究に取り組んでいたんです。そして1988年に世界初のフルデジタルカメラを開発しました。初期のデジタルカメラは価格の問題もあって、おもに報道関係向けで、オリンピックの競技などを撮影してすぐに電送するといった業務用でした。

──画質と価格がネックになって、一般向けに普及するにはさらなる時間が必要だったわけですね。

古森:うちが世界に先駆けて1メガピクセル(100万画素)のコンパクトデジタルカメラを発売したのは、フルデジタルカメラ開発から10年後の1998年。そこから始まったんです。デジタルがフィルムカメラの画質に追いつくには、21世紀まで待たなきゃいけなかったわけですが、フィルムレスはわれわれが幕を開けたようなものです。

──幕が開いたとたん、フィルムレスはすさまじいスピードで進むわけですね。

古森:進むし、いろんなコンペティション(競争)が発生しました。デジタル化って、信号に変えるわけだから、いってみれば標準化です。アナログと違って、端的にいうと、部品を買ってきたらあとは組み立てればいいだけなので、激しい価格競争が起こったのです。毎年15%ずつ値段が下がるような激しい競争です。

 われわれだけでなく、カメラメーカーや家電メーカーも参入し、すごい戦いになっていった。その中でフィルムもあっという間になくなった。レコードがCDに変わったより速いぐらいだったでしょう、もう4〜5年でほとんどデジタルに移っていった。

──まさかここまでのスピードで時代が進むとは、古森さんご自身も……。

古森:そこまでだとは思わなかったですね。

──その真っただ中で社長として何を考えましたか。

古森:まず最初は、これからどうなるかって読むことです。カラーフィルムなどをやっていた写真の部門に、この先どれぐらいの落ち方をするんだって予測させました。すると、想定以上に悲観的な数字が出てきた。私もそうなるだろうと思いました。だから、これはもうしょうがないと、他のことで会社は生き延びていくしかないと。

──その読みは、ほぼ当たったわけですね。

古森:当たった。それを補うような次のビジネスを見つけないと、もたないことは明らかでした。富士フイルムの既存ビジネスの中で伸びそうなものは何か、それとは別に、まったく新しく始められそうなものは何か、そういうリサーチをしました。新たな成長戦略の構築です。

※週刊ポスト2015年6月12日号