【厳選!佐野弘宗の新車のツボ】

 新しい軽自動車(以下、軽)のスポーツカー、ホンダS660が大人気である。

 S660は4月初旬に発売されるも、あまりの人気で5月には受注を一時停止。6月には受注を再開予定だが、運よく6月にオーダーできたとしても、納車は早くて年明け、場合によっては来年夏になってしまう可能性もあるという。S660の月間生産台数は800台。ハンドメイドの部分が多いので大幅な増産はできず、しばらくは争奪戦が繰り広げられそうだ。

 S660は軽のスポーツカーであること自体が貴重だが、エンジンを運転席の直後・リアタイヤの前に置く"ミドシップ"というレイアウトを採用したのが超レアである。現時点で入手可能な国産スポーツカーにミドシップはS660以外になく、世界を見わたしても比較的手ごろ(といっても1千万円を切る......というレベル)なミドシップスポーツカーはポルシェやロータスくらい。あとは数千万円級のスーパーカーばかりだ。

 ミドシップは車体のど真ん中にエンジンを置くので、前後重量バランスという"運動性能の素性"では理想形のひとつだが、人間や荷物のスペースがすこぶる取りにくい。実際、S660でも乗車定員は2人で、しかも小さなハンドバッグすら置く場所がない。ハッキリいって実用性は下の下。走ること以外の用途は、まったく考えられていない(笑)。

 S660は20〜30歳代のエンジニアたちを、歴代タイプRやかつてのF1エンジンなどを担当したベテラン猛者エンジニアの数名がサポートする形で開発された。こうした平均年齢の若い開発体制はホンダでも初という。

 というわけで、S660はほとんど専用品のカタマリである。まあ、ミドシップでオープンカー......という商品企画なので、ボディ骨格が専用なのは当然としても、サスペンションからブレーキ、シートにタイヤ、はてはステアリングホイールまで、普通に考えれば既存のホンダ軽から流用してしかるべき部分まで、いちいち専用。こうした「だれがなんといおうと、オレはこういうのが欲しい!」という、空気(=コストや生産性)を読まない若々しさが、S660最大の魅力といっていい。

 実際、スミズミまで貫かれた勢いは、S660に乗ればすぐに体感できる。とにかく軽らしくないのだ。専用新開発の6速MTもシフトフィールは世界でも指折りの気持ち良さ。また、第99回のスズキ・アルトターボRSでも書いたが、軽は大きな凹凸を高速で乗り越えたときなどにどうしても軽っぽさがただようものだが、S660はアルトターボRSに輪をかけてガッチリとしなやかである。

 前後重量配分がいいミドシップは、曲がりはじめれば確かに軽快だが、フロント周辺が軽いために、曲がりはじまるまでが鈍くなりがち。アマチュアドライバーに「クルクルと面白いように曲がるミドシップらしい走り」を味わわせるのは、じつはけっこう難しい。

 しかし、S660はフロントエンジン車しか経験のないアマチュアが普通に運転するだけで、シュンシュン曲がって、しかも限界が高くて超安全。こういう味わいはポルシェ・ケイマン(第28回参照)にも通じる最新市販ミドシップのツボを見事に突いている。

 S660のカタログを眺めていると、軽にはレーシングカーもかくやの超ハイグリップタイヤや、走行中にブレーキを電子制御する"アジャイルハンドリングコントロール"など、軽らしからぬ贅沢装備が満載だ。「もっと簡単につくれば、もっと安くなったのに」とツッコミたくもなるが、S660の乗り手の技量を問わないミドシップ感には、こういう装備のひとつとつがドンピシャのツボ効果を発揮していることに納得させられてしまう。

 S660は軽なのに、2人しか乗れないのに、オープンルーフは簡素な脱着式でしかないのに約200万円。絶対的には安くないが、この内容や生産台数を考えると「これで利益が出るのか?」と勝手に心配になるくらい割安。

 また、S660には「税金で優遇される軽なのに、スポーツカーなんて遊びグルマは本末転倒」というお堅い批判もなくはない。ただ、こんな世界的にもレアで素晴らしいデキのミドシップスポーツカーが、新車でコミコミ250万円くらいで手に入るのも軽だから。

 大衆スポーツカーは歴史的に、いかに低コストで楽しいクルマを提供するかに知恵を絞ってきた。だから、S660もまた、あえて軽であることがツボ。つまりは生活の知恵である。

佐野弘宗●取材・文 text by Sano Hiromune