悪性リンパ腫に侵された元プロレスラー垣原賢人さん支援トークライブに、元UWF戦士たちが集結
 2014年12月30日、元プロレスラーの垣原賢人さんが、悪性リンパ腫(血液のがん)に侵されていることを公表した。「まさか自分がなるなんて……頭の中が真っ白です」と心中をFacebookに綴り、プロレス界、プロレスファンの間に衝撃が走った。

 抗がん剤投与や食事療法、そして骨髄移植を受けるためには莫大な費用がかかる。そこで「カッキー応援隊!」が結成され、試合会場に募金箱が設置されるなど、垣原さんを支援するための活動が始まった。5月18日、ロフトプラスワンで開催された「垣原賢人さん支援トークライヴ〜克とうぜカッキー!〜」もその一つ。ニコニコ動画のプロレス専門チャンネル「ニコニコプロレスチャンネル」公開収録として、元UWF戦士の垣原さんと親交の深い3人のゲスト(鈴木健さん、長井満也さん、高山善廣さん)が、UWFや垣原さんとの思い出を語った。

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◆いつでも熱く、頼もしい存在だった“カッキー”

 最初の出演者は、元UWFインターナショナル取締役の鈴木健さん。この日MCを務めたプロレス記者の鈴木健.txtさんと区別して、「悪い方の鈴木健」と呼ばれている。お茶目で天然な印象だが、実は悪い人なのだろうか? そう不思議に思ったが、“悪い”と呼ばれる所以はすぐに合点がいった。ライブ中、MCの鈴木氏が終始、「ノーツイートで!」を連発。動画を撮影していたニコプロ担当者が「5分しか使えないですね」と言う始末……。

「真冬に野外会場の神宮球場で興行をやりましたよね? 普通に考えたらやらないですよね」とMC鈴木氏。「寒いからみんな、コートを買うでしょ。1万5000円のコートがバカ売れしたんですよ。狙い通りですよね。※※円で作ったんですけどね。アハハ」……。「本来は開放しちゃいけない外野スタンドにも、お客さん入れちゃいました。※※円(多額)儲かったんですよ。もう時効だからいいですよね。アハハ」……。「時効って勝手に決めていいんですか?」と、鈴木氏はヒヤヒヤだ。

 しかしUWFインターナショナル(以下、Uインター)設立経緯を、熱く語るシーンもあった。高田延彦に惚れ込んだ鈴木さんは、「“高田が選手のトップ、自分がフロントのトップ”という団体を作りたかった」と言う。今回のライブの主役である垣原賢人さんは、Uインターに所属していたUWF戦士。その頃の垣原さんを、「だれよりも温かかった」と話す。「安生洋二がヒクソンに負けたとき、真っ先に飛んできて『大丈夫ですよ! 俺たちがいますから!』と最初に言ったのがカッキーです。カッキーはいつでも熱かった。その熱さと強さで病気も乗り越えてほしい。乗り越えられると信じている」。

◆UWF生え抜き。メジャー団体を渡り歩いた垣原賢人

 垣原さんは、1989年、第二次UWFに入門した。入門からデビューしたのは田村潔司、冨宅飛駈(当時は祐輔)、垣原賢人、長井満也の4人のみ(長井は首の負傷によりその後、リングスでプロデビュー)。垣原さんは世界で4人しかいないUWF生え抜き選手だ。

 UWF解散後に設立されたUWFインターナショナルでは、田村に次ぐ若手の成長株として活躍。94年には2人のシングルマッチが日本武道館のメインで行われた。95年10月9日、東京ドームでの新日本プロレスとの対抗戦では佐々木健介に勝利。高田延彦が武藤敬司に敗れて消沈する中、「僕がUインターを守ります!」と気を吐いたという。

 その後、全日本プロレスに参戦し、2001年、同期の長井とアジアタッグ王座を奪取。2003年、新日本プロレス「ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア」優勝。メジャー団体を渡り歩き、輝かしい成績を収める。垣原さんの得意技“カッキーカッター”は、新日本時代の同僚だった田中稔(WRESTLE-1)が現在も使用している。今年5月5日に開催されたWRESTLE-1クルーザーディビジョン王座決定トーナメント決勝戦で、田中はカッキーカッターを使って初代王座に就いた。垣原さんが引退しても、その技とマインドは受け継がれている。