『泰平ヨンの未来学会議〔改訳版〕 (ハヤカワ文庫SF)』スタニスワフ・レム 早川書房

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《泰平ヨン》シリーズの三冊目にして初めての長篇。主人公の今度の行き先は、不思議と不可解に満ちた宇宙ではなく、地球の人口問題をテーマにした未来学会議が開催されるコスタリカだ。あまり乗り気ではなかったヨンだが、畏友タラントガ教授から「君が適任者」と言われたら断れない。

 到着したコスタリカはずいぶんキナ臭い。ホテルの部屋には鉄の棒や、擬装用ケープ、登山に使うロープの束が備えられており、ドアには「この部屋には爆弾がないことを保証します」との札がかかっている。会議一日目の朝には、過激派がアメリカ大使館から領事と職員を誘拐し、政治犯を釈放しないと人質を切り刻むと脅迫する。

 会議の場所は高級ホテルだが、参加者たちも無事ではいられない。水道水のなかに仕込まれたクスリのおかげで無闇な多幸感に襲われててんやわんや。同じ会場で開催中の解放文学会議(参加者には近親相姦を呼びかける文書を公開している連中も)と交錯するハプニングも起こる。未来学会議の発表でも、人口増加抑制の策として真面目にカニバリズムが提案されたりなど不穏だ。そのうち、激しい市街戦がホテルにまで飛び火し、ヨンたちは命からがら下水道へ逃れる。

 一難去ってまた一難。避難した場所にも薬物が流れこみ、ヨンは黒人の少女の身体に脳移植されたと思いこむ。この幻覚から醒めると、次は過激派リーダーの逞しい男の身体になっている。彼のアイデンティティはどうなってしまうのか? 悪夢から悪夢へ。すさまじい現実崩壊だが、おなじドラッグの作用を内側から描いたSFでもレムはディックのような抑鬱にはならない。

 レムはかなり初期からアイデンティティと身体性の関係を扱ってきた。短篇「ミスター・ジョーンズ、きみは存在しているのか?」は軽いアイデア・ストーリーだがこの問題をシャープに提起していたし、《泰平ヨン》シリーズでも「第14回の旅」「第23回の旅」などに同様の関心がのぞく。本書でもそれがさまざまに変奏される。

 さんざんな目に遭ったあげく、ヨンは医療施設に収容された。そこで「新しい種類の反応をともなう精神病」と判明するが、現時点では治療法がないため人工冬眠で未来送りになる。液体窒素の容器へドボン!

 冷たい無から意識が戻ると、ヨンは2039年の世界にいた。なにもかも目新しく、想像を絶したことばかり。わからない言葉を知ろうと、辞書を引くが堂々巡りで意味にたどりつけない。このあたりの言葉遊びと不条理感覚はレムの十八番だ。

 現代の人間が未来へ行き、すっかり変わりはてた世界の様相を書き綴る。この形式は古いタイプの未来小説でしばしば試みられた。小説の仕掛けとしてはごくプリミティブだが、レムは臆することなく作品に取り入れている。旧来の未来小説と異なるのは、現代パートと未来パートとが幾重にも照応している点だ。現代パートでヨンが参加していた会議は人口問題が深刻な世界を論じるものだが、未来ではその問題が解消されぬままの世界を生きるはめになる。そして、未来パートで支配的な文化基盤となるドラッグは、ヨンが現代から離れるきっかけとなったものにほかならない。

 じつは小説の構成のみにとどまらず、SFの「オチ」、というかミステリ的な「真相」に未来/現代の照応とドラッグのギミックが効いているのだが、それは読んでのお楽しみ。

 未来パートで圧巻なのは、人間の欲望を巧みに満足させて秩序を維持している未来社会が、いかに周到に偽装されたディストピアかを暴いていく過程だ。レムならでは文明批判が冴えわたる。

 とくに皮肉が効いているのは、ヨンの朋友であるトロッテルライナー教授(彼も未来学会議で災難に遭い人工冬眠で未来へ来た)が、意気揚々で取り組んでいる言語未来学だ。この学問は、まず思いつくままに新造語をひねりだし、その意味や背景に理屈をこじつけることで未来のありさまを推察する。まったくのナンセンスなのだが、しまいには屁理屈が新しい宇宙創造説へ到達してしまう。そのムチャなアクロバティックには唖然呆然。こおそらくレムはポストモダン思想を揶揄しているのだろう。

 さて、長らく入手が難しかった本書がブラッシュアップされた訳で刊行されたのは「コングレス未来会議」として映画化されたおかげだ。かなうことならば、《泰平ヨン》シリーズ全作(未訳の最終篇『地球の平和』も含め)が新刊で読めるようになると嬉しい。この改訳に力を尽くされた大野典宏さんが「文庫版へのあとがき」で指摘なさっているように、レム自身がもっとも好んだシリーズである。

(牧眞司)