そもそも、スポーツ計時のルーツはホースレース(競馬)にある。貴族たちが所有するサラブレットの能力を自慢するために、走行タイムを計測したのが始まりだ。その後、世界共通のルールで競い合う近代スポーツがはじまると、直接対決だけでなく、計測したタイムで優劣を競い合うようになる。

 アスリートの真剣勝負を完璧な時間測定で支えるスポーツ計時は、ミスがゆるされない。競技レベルが上がると同時に計時技術も進化し、手動計時から機械式計時、そして現在はデジタル計時へと精度を高めている。しかし運営に人間が携わる以上、ミスをゼロにすることは不可能だ。それゆえ、計時技術の進化は止まらない。

 そして、日本ではまだマイナー競技の"競歩"が、スポーツ計時を進化させる。

 現在、陸上競技で重宝されている技術に「トランスポンダー」がある。競技者のユニフォームやゼッケンに小さな発信機を仕込み、そこから発する電波を拾うことでランナーを管理するシステムで、主に多くのランナーが同じトラックを何周もする中・長距離競技で使われている。

 この技術の実用化が進んだのは、「競歩」でのミスがきっかけだった。

 事件が起こったのは2007年9月に開催された世界陸上大阪大会。所定のコースを3時間以上に渡って何度も周回する過酷な『男子50キロ競歩』の終盤、なんと競技者の周回数を係員が数え間違えて、日本のトップランナーだった山崎勇喜選手を一周早くゴールへ向かわせてしまったのだ。

 当然、山崎選手は周回不足によって失格。そのレースが08年北京五輪の選考会も兼ねていたこともあって反響は小さくなかったが、計時担当会社は深く反省すると共に、ミスが再発しないように新技術の開発を進めた。それが、「トランスポンダー」で選手を管理する方法だったのだ。

 トランスポンダー技術の進化は、別の副産物を生み出した。一見しただけではわからない選手同士のタイム差がわかるようになったのだ。公式ルールでは先頭選手のラップタイムのみ記録すればよいが、トランスポンダーがあれば、すべての選手の記録がリアルタイムで手に入るので、より細かいレース分析が可能になる。こういう技術は国内に有力選手がいると俄然重要性が増す。メダル圏内とメダル圏外のタイム差もわかるので、レースを盛り上げるスパイスになるからだ。

 ひょっとすると、ここでも「競歩」が鍵を握るかもしれない。

 日本陸上界のスターと言えば、短距離の桐生祥秀選手だが、実は国内唯一の世界記録保持者は、競歩の鈴木雄介選手。2015年3月に行なわれた全日本競歩能美大会『男子20キロ』にて、1時間16分36秒という世界記録で優勝を果たしたのだ。ちなみに世界大会が行なわれるような陸上競技で日本人が世界記録を樹立したのは、マラソン以外では初となる快挙である。

 いくら馴染みのない競技であっても、世界記録保持者が日本人なら、その最強の実力を知りたいと思うのは当然だろう。しかしながら、競歩観戦の楽しみ方を知っている人がどれだけいるだろうか? 100m走やマラソンとはまったく異なる"競歩ならではの面白さ"を、どうやってテレビ中継で伝えればよいのだろうか?

 なにせ日本はこの分野が弱い。ヨーロッパでは計時を担当する会社がデータ表示の技術も開発しているので、計時データを上手に利用した臨場感のある中継が可能になっている。しかし日本の場合は、データ表示はテレビ局が担当しているため、気合いを入れるのは限られたメジャー競技だけなのだ。

 しかし、トランスポンダーが取得するさまざまな選手の走行データを活用すれば、マイナーな競技でも興味を惹きつける中継が可能になるはず。日本人世界記録保持者のレースを観戦できる機会は滅多にないのだから、日本のテレビ局にはぜひとも実現して欲しい。

 競歩は思わぬところでスポーツ計時の発展に寄与していた。そして今度は、テレビ中継の方法にも影響を与えるかもしれないのだ。競歩を侮ってはいけない。

篠田哲生●文 text by Shinoda Tetsuo