メジャー40人枠から外れた藤川球児[Getty Images]

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 現地時間17日にレンジャーズの藤川球児が、メジャー40人枠から外れ、事実上の戦力外通告を受けた。藤川と同じようにシーズン中に解雇、メジャー40人枠から外れた日本人選手は意外と多い。

 以下がシーズン中に解雇、メジャー40人枠を外れた主な日本人選手

◆シーズン中に解雇、メジャー40人枠を外れた主な日本人選手。

五十嵐亮太

→12年ブルージェイズで、2試合に登板し、防御率36.00と結果を残せず、5月27日に戦力外。その後ヤンキースとマイナー契約を結ぶ。

井川慶

→2年目の08年7月26日にヤンキースから戦力外。メジャー契約を解除し、マイナー契約に。

井口資仁

→メジャー4年目の08年、若手起用の方針から所属していたパドレスから戦力外。前年まで所属していたフィリーズへ移籍。

岩村明憲

→打撃不振で40人枠から外れ、パイレーツを戦力外。マイナーへ降格し、シーズン終了後に解雇された。

大家友和

→ブルージェイズ時代の07年4月29日に、野茂英雄に次いで日本人2人目となるメジャー通算50勝を達成。しかし6月18日に解雇され、19日にカージナルスとマイナー契約を結ぶ。そこでも7月4日に契約解除された。

岡島秀樹

→レッドソックス時代の11年の5月24日、チームがトレードで選手を獲得したことにより、メジャー40人枠を外れ、事実上の戦力外に。その後、マイナーでは34試合に登板しシーズンを終えている。

木田優夫

→00年タイガースに契約解除され、オリックスに移籍。

桑田真澄

→07年6月にメジャー昇格し、19試合に登板も防御率9.43と精彩を欠き、8月14日にパイレーツを戦力外。

小林雅英

→メジャー1年目の08年は57試合に登板するも、翌09年は不振に陥り、5月16日にマイナーに降格。結局、7月18日にインディアンスから契約解除された。

新庄剛志

→メッツに所属していた03年の7月17日に、メジャー40人の登録枠から外れ、戦力外に。新庄はシーズン終了までマイナーでプレーし、翌年日本ハムに移籍。

高津臣吾

→05年ホワイトソックスで開幕から守護神と起用されるも、7月に打ち込まれ、8月1日に解雇。8月12日にメッツとマイナー契約を結んだ。

高橋尚成

→カブス時代の13年4月16日、メジャー40人の登録枠から外れる。その後、マイナーでプレーした後、6月にロッキーズへ移籍。

田中賢介

→ジャイアンツでプレーしていた13年9月4日に自由契約。同年の12月にレンジャーズとマイナー契約を結ぶ。

中村紀洋

→05年4月にドジャースでメジャーデビューするも、同年の5月に40人枠から外れる。マイナーでプレーし、翌年にオリックス復帰。

中島裕之

→アスレチックス時代の13年8月、メジャー40人枠から外れる。

西岡剛

→ツインズ時代の11年、チーム事情で8月にメジャー昇格するも、13日にマイナー降格。20日にメジャー40人枠から外れる。

野茂英雄

→レイズでプレーしていた05年、6月15日に日米通算200勝を達成するが、同年の7月26日に解雇。翌日にヤンキースとマイナー契約を結ぶ。

→08年、ロイヤルズとマイナー契約を結び、4月にメジャー昇格。メジャーで登板を果たすも、4月20日にメジャー40人枠から外れる。

福留孝介

→ホワイトソックスでプレーしていた12年6月26日に解雇。7月13日にヤンキースとマイナー契約を結ぶも、9月3日に解雇された。

福盛和男

→メジャー1年目の08年、レンジャーズでプレーしていたが、成績不振で5月11日にメジャー契約を解除。

松井稼頭央

→アストロズでプレーしていた10年、打撃不振で5月19日に解雇。26日にロッキーズとマイナー契約。同年のオフに楽天へ移籍した。

松井秀喜

→未所属のまま開幕を迎えた12年、4月30日にレイズとマイナー契約を結ぶ。5月29日にメジャー昇格すると、昇格当日に本塁打を放つ活躍を見せたが、その後は低迷。7月24日の試合後に戦力外通告を受けた。他球団からのオファーを待つも、同年の12月に現役を引退した。

薮田安彦

→千葉ロッテからロイヤルズに移籍した08年、メジャーとマイナーで結果を残せず同年の8月2日に40人枠から外れる。しかし、1カ月後に再昇格した。