5月10日に初日を迎える大相撲五月場所。横綱・白鵬が最多優勝記録を更新し、35回目の優勝を成し遂げるかどうかが注目される。戦後の大相撲の人気は、横綱・栃錦、若乃花の栃若時代、大鵬、柏戸の柏鵬時代を経て、北の湖、千代の富士、貴乃花といった偉大な横綱によって支えられた。

現在、相撲界には白鵬、日馬富士、鶴竜の3横綱がいるが、いずれもモンゴル出身。日本人の横綱は03年の貴乃花の引退後、番付から消えたままだ。

その一方で、最近は大相撲の人気が復活モード。昨年の秋場所は15日間中、14日が満員御礼になったが、これは"若貴ブーム"に湧いた96年以来、18年ぶりの快挙だった。だからこそ知っておきたい5人の名横綱の凄すぎる土俵人生。これで相撲観戦の楽しみが深〜くなる!?

古き良き昭和時代を代表する大スター

48代横綱 大鵬

素顔は稽古の鬼、品格も横綱の鑑

幕内優勝32回、45連勝、2度の6場所連続優勝、全勝優勝8回――相撲史に燦然と輝く記録を残し"昭和の大横綱"と言われたのが第48代横綱・大鵬幸喜。

187センチ、150キロの恵まれた体躯、色白で端正な顔立ち、圧倒的な強さで国民的なヒーローとなった大鵬は、高度経済成長に沸く昭和30年代の日本を象徴する存在でもあった。その人気のほどは「巨人 大鵬 卵焼き」というフレーズからも明らかだろう。

1940年5月29日、ウクライナ人の父と日本人の母の三男として樺太(現ロシア領サハリン)に生まれた大鵬は、戦後の混乱期、母と兄姉とともに引き揚げ船で北海道に帰ってきた。

56年、弟子屈(てしかが)町の定時制高校に通う傍ら、国有林の管理人として働いていた彼を二所ノ関部屋がスカウト。同年九月場所で初土俵を踏んだ。

60年一月場所で新入幕を果たした大鵬は、出世街道をバク進した。

「新入幕から1年後の61年一月場所で大関。3回目の優勝をした同年九月場所後に柏戸とともに横綱に昇進しました。大鵬21歳3か月、柏戸22歳9か月の若さでした」(ベテラン相撲記者)

"剛の柏戸、柔の大鵬"と言われ、柏鵬時代を築いた両者の通算対戦成績は、大鵬の21勝16敗に終わっている。

「懐が深く、柔軟な身体を活かした大鵬の相撲は"型がない"と批判されることもありましたが、どんな相手でも堂々と受けて立つ、まさに横綱相撲でしたね」

と、相撲評論家の三宅充氏が解説する。

「相撲に天賦の才があったことは確かですが、あの人ほど稽古をした人はいない。横綱になってからも地方巡業で当時の4大関、5大関を相手に40〜50番、平気で取ってましたからね。しかも一番も負けない。大鵬の全盛期の強さは本当にケタ外れ、ケタ違いでした」

プロレスラーの天龍源一郎が新弟子時代、稽古をつけてもらった大鵬に

「オレの足を1ミリでも動かしたら1万円やる」と言われ、全力でぶつかってみたものの微動だにせず、大鵬のあまりの強さに舌を巻いたという逸話も残っている。

その一方で、大鵬は酒量もハンパではなかった。同い年で仲がいい巨人の王貞治(現ソフトバンクホークス会長)と一緒に飲むことも多かったが、

「大酒豪の王さんが酔って寝てしまい、目覚めたときも、大鵬さんは一升瓶を抱えるようにして日本酒を飲み続けていたそうです」(スポーツ紙記者)

大鵬にとって忘れ得ぬ一番となったのが、69年三月場所2日目の戸田戦。"世紀の大誤審"によって連勝が45でストップすることになった一番だ。

「土俵際で明らかに戸田の右足が先に出ていたし、行司の軍配も大鵬に上がったんですが、審判部から物言いがついたんです。実は宮城野審判部長は軍配通り大鵬の勝ちという意見でしたが、他の4人の親方が大鵬の負けを主張したため、連勝が止まってしまった。大鵬も戸田の足が出た跡を懸命に指さしてましたが、判定は覆りませんでした」(前出の三宅氏)

悔しくないはずがない大誤審にも、大鵬は「そういう相撲を取った自分が悪い」とコメント。人間の器の大きさを天下に知らしめたのである。

これがきっかけとなり、大相撲にビデオ判定が導入された。

71年に現役を引退後、一代年寄・大鵬親方になり、多くの関取を育てた。

77年に脳梗塞を患い、左半身が麻痺。最後の公職は相撲博物館館長だった。

13年1月13日、死去。同2月25日に国民栄誉賞を授与された。

「大鵬は力量、品格ともに横綱の鑑、力士の鑑と言える大横綱。私は戦後、最強の力士は彼だと思っています」(三宅氏)

"強すぎて嫌われる"異色の横綱

55代横綱 北の湖

"英才教育"でのびのび成長!

"強すぎて嫌われる"異色の横綱として角界に君臨したのが、第55代横綱・北の湖敏満だ。

「北の湖は文句ナシに強いんですが、勝ってもニコリともせず、見ている者にふてぶてしい印象を与えがちでした。あのイメージで、だいぶ損をしましたね」

とは、スポーツジャーナリストの織田淳太郎氏の弁。

「ただ、憎らしいほど強いというのは、力士にとって最高の褒め言葉でもある。入幕以来、飛ぶ鳥を落とす勢いで昇進を重ね、史上最年少の21歳2か月の若さで横綱になった北の湖の実力を高く評価しても、しすぎることはありません」

53年5月16日、北海道有珠(うす)郡壮瞥(そうべつ)町に生まれた北の湖は、少年時代からスポーツ万能だった。

「中1時には170センチ、100キロの巨体だったそうですが、初段だった柔道では高校生を相手に地元の大会で優勝。野球、スキー、水泳も得意でしたが、相撲にはそれほど興味がなかったといいます」(スポーツ紙相撲担当記者)

"北に怪童あり"の評判を聞きつけ、複数の相撲部屋がスカウトに訪れたが、最も熱心に誘ってくれた三保ケ関部屋に入門。67年一月場所で初土俵を踏んだ。

「三保ケ関親方は北の湖を徹底的な英才教育で育てました。チャンコ番も先輩力士の付け人も免除し、稽古もやりたいときだけやればいい、という特別待遇。朝もいつまでも寝ているため、両国中学には毎日、遅刻していたそうです。親方は、それほど彼の実力を高く買っていた。一方、北の湖ものびのびとやれたことが成長につながり、結果的に吉と出たわけです」(前同)

逆に遊びを覚えるのは早かったようで、

「先輩に連れられて、中学時代には酒と女のデビューを果たしていたとか。ま、これは北の湖に限った話じゃないですが」(同)

アルコールも滅法強く、

「若い頃はウイスキー党で一晩にボトル4〜5本は空けていた。成人式の感想を聞かれ"今日から酒をやめようかな"といったのは有名な話です」(同)

いずれにせよ、中学卒業後でなければ入門できない現在のルールから見れば、夢のような話である。重心低く立ち合い、左四つに組み止めて右からの上手投げ。体を密着させての寄りを得意とした北の湖だが、先輩横綱・輪島との対戦は人気を呼び、"輪湖時代"といわれた。

「ただ、ああ見えて北の湖は優勝決定戦など、ここ一番には意外に脆い面がありました。輪島に21勝23敗と負け越しているほか、若嶋津には6勝8敗、朝潮には7勝13敗と特定の力士を苦手とする傾向があったんです」(三宅氏)

幕内優勝24回、804勝を挙げ、85年一月場所で引退。

02年に日本相撲協会理事長に就任し、一度退いたが、現在も理事長職に。現役時代同様、相撲協会の顔であり続けている。

日本中に"ウルフブーム"を巻き起こした

58代横綱 千代の富士

マッチョな体で小兵ながら活躍

小兵ながら、優勝回数は歴代3位の31回。魁皇に抜かれるまで歴代1位の通算1045勝を挙げ"小さな大横綱"と呼ばれた第58代横綱・千代の富士貢。

「千代の富士の幕内優勝31回のうち、22回は29歳以降の優勝なんです。大鵬の29歳以降の優勝は2回、北の湖は1回、貴乃花は0回。いかに千代の富士が大器晩成型の力士であったかがわかります」(三宅氏)

千代の富士の183センチ、127キロの肉体は当時としても力士としては小さいほうだが、持って生まれた筋肉質のボディをウェイトトレーニングで鍛え上げ、筋骨隆々の肉体に改造していったのだ。

「肩の関節が外れやすく、脱臼癖があったにもかかわらず、若い頃の千代の富士はまわしをつかむと強引に投げを打つ、荒っぽい相撲を取ってましたからね。肩の関節を筋肉の鎧で覆うために始めた筋トレが功を奏し、肩の不安がなくなったことで相撲の内容まで変わりましたね」(前出の織田氏)

千代の富士は55年6月1日、北海道松前郡福島町の生まれ。小さい頃から漁師である父の仕事を手伝ったことで、自然に足腰が鍛えられたという。

中学時代は陸上競技に熱中し、地方大会の走り高跳びと三段跳びで優勝したこともあった。相撲には興味がないどころか、むしろ嫌っていたという。

スカウトに来た九重親方に「東京に行くなら飛行機に乗せてあげる」と口説かれ、飛行機に乗りたいばかりに入門に同意。

70年九月場所で初土俵、75年一月場所で新入幕を果たすが、前述のとおり肩の脱臼癖に苦しみ、なかなか番付が上がらなかった。

だが、肩の不安がなくなった80年春場所あたりから千代の富士は覚醒する。相撲も頭をつけて前まわしを引き、一気に前に出るスタイルに変わり、着実に2桁勝てるようになった。

「81年には関脇、大関、横綱の地位で優勝するという史上初の快挙を達成。ウルフブームが全国に吹き荒れることになりました」(相撲誌記者)

88年には53連勝を達成。

89年には通算勝ち星の新記録を作り、角界初の国民栄誉賞を受賞。千代の富士の黄金時代は91年に引退するまで約10年続いた。

「本場所で負けた相手には出稽古をして徹底的に取り口を研究していました。腕力の強さも特筆もので、千代の富士が前まわしをつかむと、どんなに体の大きな力士も上体がフワッと浮いたものです」(三宅氏)

趣味のゴルフの腕前は玄人はだし。ジグソーパズルやファミコンゲームにハマっていたこともある千代の富士は、見た目以上に"やわらか頭"のようだ。

相撲協会の理事を3期務めたほか、九重親方として2人の大関を育てるなど、指導者としての手腕もなかなかのものである。

"若貴ブーム"を起こした平成の大横綱

65代横綱 貴乃花

痛みに負けない驚異の精神力!

父は大関・初代貴ノ花、伯父は"土俵の鬼"と言われた名横綱・初代若乃花。

相撲の名門一家に生まれたプレッシャーを跳ね返し、相撲界の頂点に上り詰めた"平成の大横綱"が第65代横綱・貴乃花光司だ。

72年8月12日、東京・杉並区に生まれた貴乃花は幼い頃から父に憧れ、兄の勝(第66代横綱・三代目若乃花)とともに相撲を取るようになる。

小5のときには、わんぱく相撲の全国大会で優勝。非凡な資質を見せた貴乃花は88年2月、15歳で父の藤島部屋に兄とともに入門。同年三月場所で初土俵を踏んでいる。

「実の親子が入門と同時に師匠と弟子の関係になる勝負の世界の厳しさは、当事者でなければわからないでしょう。貴乃花は入門した日から両親を"親方""おかみさん"と呼んで、きちんとけじめをつけていましたね」(ベテラン相撲記者)

兄=若花田、弟=貴花田となった2人が巻き起こした"若貴フィーバー"は、長きにわたって平成の大相撲ブームを牽引した。

89年十一月場所で新十両、90年五月場所で新入幕を果たした貴乃花は、最年少記録を塗り替えながらトントン拍子に出世する。

92年一月場所で初優勝。93年一月場所後、20歳5か月の若さで大関昇進を決めた際には、四股名を父と同じ貴ノ花(のち貴乃花)に改めている。

横綱を前に足踏み状態が続いたが、94年十一月場所後に横綱昇進が決定。

95年一月場所で新横綱・貴乃花は8度目の優勝を飾った。

「96年九月場所で貴乃花が通算15回目、4度目の全勝優勝をしたときの相撲は、平成の双葉山誕生を思わせる素晴らしいものでした。しかし、今思えば、あれが貴乃花のピーク。その後の彼は内臓疾患やたび重なるケガに悩まされ、成績も急降下。絶頂期の輝きを取り戻すことはできませんでした」(三宅氏)

土俵外では宮沢りえとの婚約と破局。兄・若乃花との確執など、スキャンダラスな話題を提供することも多かったが、相撲にかけてはガチンコ一筋。妥協を許さない姿勢は一貫していた。

「若との確執は兄弟対決となった95年十一月場所千秋楽の優勝決定戦で、若乃花の下手投げに貴乃花が不自然な形で土俵を割った一番が原因と言われています。親方に"光司、わかってるな"と因果を含まされたことで、貴乃花の中で何かが壊れたと」(ベテラン相撲記者)

貴乃花が最後の光芒を放った取組といえば、01年五月場所の千秋楽。本割りで敗れた武蔵丸に、優勝決定戦で上手投げで雪辱を果たした一番が挙げられる。

「14日目の武双山戦で右膝を亜脱臼、半月板損傷の重傷を負った貴乃花は休場やむなしと思われていたんです。それが最後の最後に武蔵丸を投げ飛ばして鬼の形相。あれは小泉純一郎首相ならずとも"感動した!"と言いたくなる相撲でした」(スポーツ紙デスク)

結局、これが貴乃花にとって22回目、最後の優勝となったが、曙、武蔵丸ほか大型化する外国人力士を相手に一歩も引かず、けれん味のない相撲を取り続けた貴乃花は日本人力士の鑑といっていいだろう。

大相撲出身の落語家で、若き日の貴闘力と対戦(1勝1敗)したこともある三遊亭歌武蔵師匠が言う。

「貴乃花さんが偉大なのは精神力の強さです。相撲の超エリート一家に生まれた人間が相撲を志すのは並大抵のことではありません。落語界にも古今亭志ん生を父に、金原亭馬生を兄に持ち、自らも名人といわれる噺家になった古今亭志ん朝さんのような例がありますが……貴乃花さんの努力はそれ以上だったのでは」

03年1月に現役を引退。現在、日本相撲協会理事として活躍する貴乃花親方の相撲道にかける思いには、いささかのブレもない。

優勝記録では大鵬超え! 無敵のモンゴル横綱

69代横綱 白鵬

もはや敵なし! 五月場所に注目

5人目は現役バリバリの大横綱、第69代横綱・白鵬翔だ。歴代最多優勝回数を35に伸ばした白鵬は、日本人力士の持っている記録をすべて塗り替えかねない実力の持ち主だ。

1985年3月11日、モンゴルの首都ウランバートルに生まれた白鵬(本名ムンフバティーン・ダワージャルガル)は、角界入りを目指して00年10月に来日。

宮城野部屋入りした当初は線が細かったため、最初の2か月間は稽古をさせず、ひたすら食べさせたという。

初土俵は03年十一月場所だが、体が大きくなるにつれて相撲も強くなり、04年五月場所で新入幕。驚異的なスピードで番付を上げていった白鵬は瞬く間に三役入りし、06年には大関、07年には横綱まで上り詰めた。

「懐が深く、柔軟な体躯を活かした白鵬の取り口は、大鵬を彷彿とさせるものがあります。とはいえ近年、張り差しや肘打ちなど、横綱らしからぬ荒っぽい相撲が増えているのはいただけません」(織田氏)

今年一月場所の稀勢の里戦に物言いがつき、取り直しになったことに腹を立てた白鵬が「子どもでもわかる相撲」と毒づき、物議を醸したのは記憶に新しい。

真の大横綱となれるか、五月場所での姿勢に注目したい。