人体の理解には解剖が不可欠 shutterstock.com

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 山口県宇部市にある「ティーズクリエイト」という会社が国立インドネシア大学と提携して、日本人の鍼灸師、柔道整復師、理学療法士、看護師、薬剤師などを対象に「人体解剖実習ツアー」を開始したところ、好評だという。他にも、各地に別の業者が企画する同様な「海外人体解剖実習」セミナーが多々あり、いずれも人気だそうだ。

 4日間の死体解剖の実習費が40万円、旅費滞在費が12万円程度らしいが、52万円払ってでも解剖実習ツアーに参加したいという、熱心なコメディカルが多いようだ。

 日本では刑法の死体損壊罪と死体解剖保存法のしばりがあり、医師でも勝手には人体解剖ができない。それに、これまでは医学生の系統解剖実習用の遺体が不足していて、コメディカルの学生が人体解剖の実習を受ける機会はなかったのが実情だ。
 
 安政5(1857)年9月、長粼西坂の刑場内に設けられた解剖実習室で、「西洋医学伝習所」の教官で、オランダ海軍軍医のポンペによる日本初の「系統解剖実習講義」が行われた。
 
 ポンペは、1日目は遺体の胸と腹を開き、肺や肝臓や腸管を示して、その講義をした。
 2日目には内臓を取り去り、心臓とそれにつながる大動脈、大静脈を示し、腎臓などの後腹膜臓器を講義し、ついで脊椎と脊髄という中枢神経とその主な枝を示した。3日目に、頭蓋骨を開き、脳と脊髄の関係、脳から出る主な脳神経を示し、中枢神経系の講義をして、全実習を終えた、と松本良順『松本順自伝』(東洋文庫)にある。講義実習なら、4日目に「筋肉と骨」について学べばよいので、4日間の実習で概略は学べるであろう。

 日本では十数年前に人体を透明プラスティックで固めたプラスティネーション標本をドイツから輸入して公開展示したところ、大非難が向けられ、一般人が人体解剖学を学ぶ機会が失われた。その延長線上に、このような「海外実習」のニーズと流行が出てきたような気がする。

遺体献体登録数が増加しても学ぶ機会が無いコメディカル

 ところで、5月3日付け産経新聞は、死後の遺体献体登録数が、いわゆる「白菊会」の全国統計が始まった1970年には約1万人だったのが、1983年に「献体に関する法整備」が行われて以後、徐々に増加し2014年3月には約26万人に達した、と報じている。
 http://www.sankei.com/west/news/150501/wst1505010084-n1.html

 数的には医学生の実習に必要な医体数をはるかに上まわっている。高齢者の献体登録が多く、この増加には団塊の世代の「終活」感がどうやらからんでいるらしい。最近は新聞の死亡記事を見ても、派手な葬儀をせず、親族のみの密葬ですませ、遺体は白菊会に献体するという著名人が増えている。

 さて、自発的献体登録がこのように増加してきた以上、「海外渡航移植」を連想させる「海外渡航解剖実習」というものも、おそらくこれから議論の対象になると思われる。

 もともと死体解剖保存法の第10条は「身体の正常な構造を明らかにするための解剖は、医学に関する大学において行うものとする」と定めていて、これが歯科大学、看護大学、医療福祉系の大学や美術大学での人体解剖実習を妨げている。実際、解剖実習を習っていないコメディカルの人体についての知識不足は著しい。それがよい医療の妨げとなっている例もある。

 誰しも静脈内注射や採血を受けた後、針跡から血が噴き出して止まらなくて困った経験があるだろう。私も経験している。そのときに、掛かり付け医のナースに「針跡から出血しない採血法」を教えようとした。
 
「静脈の直上に注射針を刺さないで、まず表皮から静脈脇の真皮に針先を挿入し、ついで針先を静脈壁の上端にスライドさせ、そこから血管内に侵入させる」という手技だ。
この方法だと針を抜いた静脈壁を針跡のない表皮が被うから、これが止血帯となり皮膚出血が起こらない。大きな綿球を針跡に絆創膏でくっつけておく必要もなく、1センチ四角くらいの小さなバンドエイドを貼り付けておくだけでよい。
 
 しかし「表皮」「真皮乳頭層」「真皮網状層」「皮下組織」「静脈の走行位置」という解剖学的な概念と位置の知識が頭に入っていないと、手技そのもののイメージが理解できないようだ。イメージ・トレーニングが自分ではできないのだ。2カ月に一度の受診のせいもあるか、1年かかってもなお体得できないでいた。
画像診断とシミュレーターだけでは分かりえない人体

 北大医学部解剖学の教授だった伊藤隆は、自分が病気になり入院して初めて解剖学の重要性に気づき、10年を費やしてコメディカル向けの『解剖学講義』(南山堂、1983)という名著を書いた。しかし、どんな名著でも実際に自分が人体の解剖を直に経験することを代替するのは無理だ。

 このところ、病理解剖数が現在では著しく減少し、病理解剖の機会を利用して、内視鏡やカテーテル挿入のトレーニングを積む臨床医もいなくなった。
 
 局所解剖の地図が立体的にしっかり頭に入っていないままで、内視鏡による腎臓摘出や肝臓の十二指腸乳頭部・膵臓の部分切除などを実施するのは、きわめて危険だ。人体はヴァリエーション(変異)に富んでおり、教科書に描かれた「正常図」なるものは、抽象的な概念図にすぎない。実際に人体解剖に立ち会ってみると、それがわかるから、実地に応用する場合にも臨機応変の対応ができる。

 しかし、CTなどの画像診断とシミュレーターを用いて内視鏡練習しか知らない、優等生の外科医には、それがわからならい。だからフライト・シミュレーターで訓練しただけのパイロットが、いきなりジャンボジェットを飛ばすような、危ない内視鏡手術をして患者を死なせてしまう。
 
 世の中は教科書に書いてあるのとは相当違う、ということがわからない。そのわからないということがわかっていないのだから、始末におえない。

 ともあれ、医学部の新設がいろいろと計画されているが、医師を増やすだけでは医療の質はよくならない。コメディカルの質を高めることも重要であり、それにおける「人体解剖実習」はきわめて大切だ。昭和24(1959)年制定の「死体解剖保存法」は、医師以外のものの「解剖学習」を制限しており、抜本的改正が望まれるところだ。
※「医薬経済」5/1号「<人体解剖>は海外実習の時代」に触発されて。
(文=広島大学名誉教授・難波紘二)メルマガ『鹿鳴荘便り』(5/4)より抜粋、加筆