5月5日、大阪市港区で行なわれた黒鷲旗大会のトヨタ車体戦をもって、ロンドン五輪銅メダリストの佐野優子(35歳・デンソー)が引退した。小さな身体で強烈なスパイクに飛びつき、何度となく全日本女子の危機を救ってきた。

 エース木村沙織は過去にこのように言っていた。「リョウさん(佐野のコートネーム)が隣にいるだけで、安心感が違うんです。たとえば、次の1点をどうしてもとりに行きたい。そんなときに『お願い』って一声かけると、自分はスパイクに専念できた。本当に頼りになるリベロでした」

 ロンドン五輪のチームメイトで同じく引退を表明した井上香織(32歳・デンソー)が試合直後から泣き崩れていたのに比べると、さっぱりと笑顔で現役最後の日を迎えた佐野だった。

「最後は泣くんじゃなくて、笑顔で終わりたいと思っていたので。今はすっきりしています」と、優しい顔に似合わない負けず嫌いなところをちらりと見せながら、現役生活を振り返った。

「いいバレー人生を送らせてもらったと思います。この身長で、リベロというポジションがなかったら、こんなに長く現役をやれることもなかったし、全日本に選ばれることも、ましてやオリンピックで銅メダルを取ることもできなかったと思います」

 佐野の身長は159cm。バレー選手としては非常に小柄といっていい。北嵯峨高校(京都)時代の佐野を見て、「この子はレシーブがすごく上手いから、うちの伝統の拾ってつなぐバレーにはぴったり」といって名門ユニチカにスカウトしたのが、「女眞鍋」という異名をとる技巧派の全日本セッターだった中西千枝子だった。

 ポジションはレシーバー。入社して1年目に、リベロというポジションができた。小さな選手にも活躍の場を与えるために作られたポジションだった。佐野はもちろんリベロになった。それまでのレシーバーだと、各1セットで1回、後衛3ローテしか出番がなかったが、リベロは後衛の選手と、いつでも何度でも自由に交代できる。1試合を通してコートの上に立ち続けることができるようになったのだ。

「(リベロというポジションが)できた当初はそんなに思わなかったんですけど、今から考えると、本当にすごく運が良かったですね。タイミングがよかったというか」

 全日本にも選出され、2003年ワールドカップでは初々しい姿で観客を魅了した。この時の佐野は、同じチーム(東レ)の先輩だった熊前知加子にコート上で手を取って深呼吸させられていたくらい、緊張でガチガチだった。

「あんな大勢のお客さんの前でプレイするのは初めてで、本当に緊張しましたね。無我夢中でした」と苦笑い。前年の世界選手権で史上最低の成績となり、どん底だった全日本女子は、この大会で息を吹き返し、そのままの勢いでアテネ五輪の出場権をもぎ取った。

 しかし、佐野自身はアテネには行けなかった。オリンピック最終予選直前の選考で、テレビカメラが回る前で読み上げられた全日本メンバーの中に、佐野の名前はなかった。

「あの時は、もう何も考えられなくなって。その前に東レを退社して、移籍同意書がもらえなくて協会所属ということになっていたのですけど、なかなか練習する場所もなくて」

 佐野はここでオリンピックをあきらめることをせず、海外リーグでの道を選んだ。フランスの強豪・RCカンヌへの移籍。離日前に聞いていた、リベロは自分一人という条件と異なり、もう一人のリベロがいた。ここで負けるわけにはいかない。佐野は移動のバスのなかでもフランス語の辞書と格闘し、チームメイトの信頼を得てポジションを勝ち取った。2シーズン目のチャンピオンズリーグでは、ベストリベロ賞を受賞している。

 北京五輪のメンバーに選ばれたあとも、佐野は海外でプレイすることをやめなかった。

「バレー人生で一番思い出に残っているのはもちろん、ロンドン五輪の銅メダルなんですけど、他は? と言われたら、やっぱり社会人生活の約半分を海外リーグでプレイしたことですね。海外の選手の高くて強いスパイクやサーブを日常的に受けることで、技術もメンタルも保ってこられました。
(海外に)行った人の話を聞くだけとか、チームに1人だけ外国人がいて(いっしょにプレイした)、というのではどうしても得られないものだと思うんですね。若い日本の選手には、これからもどんどん海外のリーグに挑戦して欲しいです。(全日本男子の)石川祐希くんのモデナ留学も、すごく得られるものが多かったと思いますよ。海外でのプレイが、今の自分を作ったのだと思います」

 ロンドン五輪後は1年1年を区切りながら過ごしてきた。身体に故障などはないが、モチベーションを100%保って次のシーズンをプレイできるかと考えたときに、ここで終わろうと決めた。

「正直、もうお腹いっぱいやりきった! という気持ちがありました」。だから、やり残したことや悔いはまったくないという。

 数年前ヨーロッパのリーグを取材したときに、あまり背の高くないジュニアチームの女子選手に「日本にはすごく小さいけど世界一のリベロがいるでしょう? 彼女を見ていると、私みたいに背が低い選手でも、頑張れば世界一になれるんだ!って勇気をもらえるの」と言われたことがある。日本だけでなく、世界中のバレーファンを魅了した小さな守護神、佐野優子。

「(引退後については)まだ具体的には言えないのですが、これからもバレーには携わっていくと思います」

"東洋の魔女"を生んだユニチカ(1964年東京五輪当時は、日紡貝塚)は2000年に廃部となり、佐野はユニチカ在籍選手として、現役を続けていた最後の一人だった。最後の東洋の魔女が、コートを静かに去った。しかし、彼女が紡いできた拾ってつなぐバレーの伝統は、これからも受け継がれていくことだろう。

【プロフィール】
※佐野優子(さの・ゆうこ)
1979年7月26日生まれ。京都府立北嵯峨高卒業後、ユニチカに入社。2000年チームごと東レに移籍。2002年に全日本に初選出。2004年RCカンヌ(フランス)移籍後は、久光製薬、イトゥサチ(アゼルバイジャン)、ガラタサライ(トルコ)、 ボレロ・チューリヒ(スイス)、デンソーと世界各国でプレイした。国際大会では、2010年世界選手権、2012年ロンドン五輪の銅メダル獲得に貢献。また、2014年ワールドグランプリでは、リベロでMVP獲得という快挙を成し遂げている。

中西美雁●文 text by Nakanishi Mikari