‘86 年に『夜霧のハウスマヌカン』で歌手デビューした歌手・やや。「レコード屋さんで私のレコードは、男性のコーナーに置かれることが多かったんです。声が男か女かわからないから、よく“オカマ”て言われていましたね(笑い)」同曲でその年の日本有線大賞や、FNS歌謡祭などで新人賞を獲得し、一躍“時の人”に。「もともとは、高校で同じクラスだった親友に“『スター誕生!』に応募しようよ”と誘われたことがキッカケだったんです。3回あった予選を通過して、後楽園ホールの本選オーディションでテレビにも出演できて」250点で合格だった本選を、245点で惜しくも失格してしまったという。「この番組から山口百恵さんや中森明菜さんなどがデビューして、私が出演したのは歌手がたくさん出た後の時期だったんです。もっと早い時期なら……と考えたり。あと5点で合格だったこともあり、“歌手でいけるかも!”と思ってしまったんですね」それから下積み時代を乗り越え、デビューのキッカケとなった『夜霧の〜』は当初、オムニバスアルバムの中の1曲だったそう。「知り合いから歌い手を探しているという話を聞いて、歌いに行ってみたらすぐに採用されました。最初はアルバムの中の1曲でしたね。そのあとに、レコード会社のディレクターが『夜霧の〜』だけをシングルカットにしようとおっしゃって」遅咲きながらも26歳でデビューとブレイクを果たした彼女は、両親に対しても並々ならぬ思いがあった。「10代から歌手を目指していましたが、25歳を過ぎると友達から“もう、あきらめたら?”なんて言われたりもしました。それでも両親だけは応援してくれて。デビューできたときと、それから2年後に北島三郎さんの事務所に入ったときは、とても喜んでくれました。そのとき“やっと親孝行ができたな”って」彼女のデビュー年は、石井明美や中森明菜が全盛期。同期には、あの伝説のアイドルグループも。「少年隊が同期で、歌番組などでよく共演していました。リハーサルの合間や舞台袖にいたときに、ニッキとかっちゃんが私のところに来て、たわいのない話をしたり、私のハットをふたりがふざけて投げ合ったりもしていましたね」華々しいデビューを迎えたややだったが、プライベートでは困難が続いた時期も。「’90 年代半ばに両親が相次いで病気で他界したんです。実家が鉄工所をやっていたので、姉が引き継いだのですが、’00 年に姉も亡くなりました。まだ従業員もいたので私がそれから7年間、社長を務めて。その期間はいろいろと勉強になりましたね」ちょうどそのころ、社長業のほかに、父母を亡くした甥っ子を引き取り、女手ひとつで身の回りの世話をしていたという。「彼はゴルフの研修生だったので、毎朝5時に起きて朝ごはんを食べさせて、お弁当を作ってゴルフ場に送り出しました。帰ってからも大量の洗濯物を洗ったり、目まぐるしい毎日。自分のこと以上に彼のことを考えていました」さまざまな経験を経て、昨年には自身が音楽プロデュースを手がけるレーベル『ややレコード』を設立し、新曲もリリース。スナックやパーティー会場などを回りながらも、創作活動に余念がない。今後の夢を聞いてみた。「これからの目標はもう1度、歌手としてヒット曲を出すこと。今は歌謡曲で売れている曲があまりないですよね。その中で、誰もが口ずさめるような大ヒット曲を出したいです。まだ夢をあきらめるのは早いかなと」