WNBAに挑戦する女子バスケの192?エース・渡嘉敷来夢の魅力は日本人離れしたスケールだ!

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192?の恵まれた体躯と身体能力で、女子選手ながらダンクシュートができる、日本女子バスケットボールの至宝・渡嘉敷来夢。

そんな女子バスケのエースが、WNBAのシアトル・ストームと契約! 

WNBAに挑戦する理由とは? オリンピックに、そしてバスケにかける熱い想いとは? 6月5日の開幕に合わせ渡米直前の彼女を直撃した。

* * *

―渡米直前、不安と期待の割合は何対何くらいですか?

渡嘉敷 楽しみ80%、不安20%くらいです。プレー面に関しては、まったく不安はないんですけどね。

―自信がある、と。

渡嘉敷 そういうことじゃなくて、プレーがどう評価されるかは、私が決めることではないんで。私は全力でプレーするだけ。通用しなくても、そこから這(は)い上がっていけばいい。多少不安なのは、言葉の問題と生活のリズムがどう変わるかですね。でも自分の性格的にどんな場所でも馴染めると思うんで、不安というほど不安じゃないですけどね(笑)。どんな状況だとしても、向こうに行けば逃げ場がないんで戦うしかないから。

―なるほど。

渡嘉敷 それに、不安の何倍も楽しみでしょうがないです。向こうでは、私より大きい選手がいっぱいいるし、同じくらいの選手はもっといっぱいます。その中で、自分の良さを出せるのか。今までで経験したことがない状況にドキドキします。一日一日が勝負ですね。

世界各国のトップ選手と一緒にプレーできるのは刺激になるし、絶対にプラスになる。私、負けず嫌いなんで、自分より上手い選手とプレーできるのが楽しみでしょうがないです。

―ちなみに、英語はどの程度話せますか?

渡嘉敷 小学生レベルくらいかな(笑)。気持ちで勝負です! 恥ずかしがっていられないんで、言葉もプレーもガンガン自分を出してこうって思います。

―ホームシックにはならなそうですか?

渡嘉敷 たぶん、ならないです。私、高校から実家を離れてるんですけど、その時も全然ならなかったし。親は「近くにいてほしい」って言ってましたけど、自分は「やるからには思いっきりやりたいから」って、ポーンって出て行ったんです。今回も高校時代より少しだけ遠くに行ってくる、そんな感覚です。

―たくましいですね。

渡嘉敷 アメリカで、ひとりで生き抜くみたいな感じ、楽しそうじゃないですか!? 部屋でひとりふさぎ込んで、“あー、孤独”とか思うタイプじゃないんで。でも、何も始まってないのに、こんなに根拠のない自信があるのがちょっと不安ですけどね(笑)。でも、なるようになるかなって。

失敗しても通用しなくても、じゃあ、次はこっちを試してみようって切り替えればいいんで。今はただ、渡米が待ち遠しくてしかたがない感覚です。

―そもそもWNBAに挑戦することに至った経緯を教えてください?

渡嘉敷 ちょうど1年前、チームでシアトルに遠征に行った時、WNBAの試合を見たんです。チームメイトに「1年後、私、このコートに立つから」って宣言して。みんな多分、冗談だと思ったんでしょうけど(笑)。帰国して、チームに挑戦したいことを伝えて。そうしたら、コーチがいろいろ手配してくれたんです。私の試合でのプレーを編集して、いろいろなチームに送ってくれたり。

―そして1年後、有言実行となった。

渡嘉敷 はい。あと昨年、世界選手権に出たことも大きいですね。初めて出場した世界大会だったんですけど、いろんな国の選手と試合をして、通用した部分も少しはあったけど、通用しない部分がいっぱいあって。いつか「渡嘉敷、上手くなったよな」って見返してやるんだって決めたんです。

―やはり、世界のトップクラスの選手は、自分以上に大きかったですか?

渡嘉敷 大きいし、それだけじゃなくて個々のスキルも高かったですね。自分と同じくらいの身長の選手がアウトサイドのポジションをやっていたりするんです。

―かなわないと思いました?

渡嘉敷 全然。「てことは、私もできるな」と(笑)。自分も頑張れば、この人たちみたいになれるんだって。どうにもならないとは思わなかったです。

―ポジティブで男前ですね(笑)。では、実際にシアトル・ストームからオファーが届いた時は?

渡嘉敷 最初はトライアウトからの参加になりそうだったんです。参加できるだけで嬉しいんで、それでいいと思ってました。そしたら「契約することになったよ」って言われて。「え? マジか!?」が第一声でした(笑)。で、とりあえずコーチとハイタッチみたいな。もちろん、チームと契約したからって、いつカットされてもおかしくないし、トレードされるかもしれない。保証はないですけどね。

―WNBAに挑戦することに実感が湧いてきたのは、いつ頃?

渡嘉敷 思いの他、みんなに「頑張れよ!」って応援していただいて、「自分、行くんだやっぱ」って実感が少しだけ湧きました(笑)。本気で実感するのはいつなんでしょうね!? 契約が決まって記者会見もやったんですけど、その時もなんか実感がなかったんで。

―では、印象に残っている応援のコメントはありましたか?

渡嘉敷 やっぱり、親からの言葉が嬉しかったですね。母親は渡米のことをテレビで見て知ったんですよ。自分、言ってなかったんで(笑)。ハッキリしてから伝えようと思ってたから。

―かなり驚いたんじゃないですか?

渡嘉敷 「どういうこと?」って聞かれたんで、「そういうこと」って言いました(笑)。そしたら「頑張ってきてね。開幕戦、絶対に行くから」って。そのひと言が、誰になんて言われるよりも嬉しかったです。誰よりも応援してくれてるのが母親なんで。勝った時も、負けた時も。

でも、うちの母親、パスポートを持ってなかったんで「来るっていっても海外だよ」って言ったんです。そしたら「実は最近、取ったのよ」って。リオオリンピックも応援に行きたいからって、パスポートを取ったそうなんですよね。それを聞いて、やっぱり誰より母を喜ばせたいなって。「開幕戦、絶対にコートに立つ!」って決めました。

―リオ五輪の話が出ましたが、FIBAからの制裁が解除されればアジア予選に参加できますね。

渡嘉敷 参加できると信じています。

―そのアジア予選で優勝するか、2〜3位の場合は世界最終予選を勝ち抜けば、リオ五輪出場権獲得となります。日本は2013年のアジア選手権で43年振りに優勝、アジア女王として予選に臨むことになります。

渡嘉敷 たしかに一昨年は勝っていますけど、次やっても必ず勝てるかっていったら、そんなことはないと思ってます。特に中国との実力差はほとんどないです。韓国も中国のような高さはないけど技術、シュート力はやっぱりすごい。どちらも次は万全の日本対策を練ってくるでしょうし、どこが勝ってもおかしくない状況です。だから、前回の優勝は忘れて挑戦者のつもりで挑みます。ただ、アジアでは負けたくないですし、必ずリオに行けると信じてます。

―渡嘉敷選手にとって、オリンピックはどんなものですか?

渡嘉敷 日本は2大会連続でオリンピック出場を逃してますし、私個人としては北京の時は最終メンバーに選ばれず、ロンドンの時はケガで予選に出場できませんでした。だから正直、オリンピックがどんなものか想像もつきません。聞くところによると、やっぱりすごいところらしいですね(笑)。だからリオには必ず行きたいし、行きたいというより「日本をオリンピックに連れて行く!」って気持ちが強いです。

特に吉田(亜沙美)さん、間宮(佑圭)さんとは、JX−ENEOSでずっと一緒にやってるんで。3人で日本をリオに連れて行きたいです。同じチームで組んでいる3人が、世界でどこまで通用するか試してみたいんで。3人でオリンピックのコートに立つのが、私の夢のひとつです。ひとりじゃ出られないかもしれない。でも、3人なら出られると思います。ふたりは年上なんで、東京オリンピックの時は現役かどうかわからないので、リオでビシッと決めたいと思います。

―リオに出場できたら、どこまで勝ち進みたいですか?

渡嘉敷 まずは出ること。出場が決まったら次の目標を決めます。私、いつも目標を細かく作って、その目標を更新していくようにしてるんで。

―日本でプレーしていれば、10年、15年は、現状維持のままでもトップで居続けることはできたはずです。それでも夢や目標のため、WNBAに挑戦するって、簡単にできることじゃないと思います。まさに日本バスケット界の至宝です。

渡嘉敷 褒(ほ)め過ぎです(笑)。それに現状維持じゃ満足できないんで。「このくらいでいいんじゃん」って思う人もいるかもしれないんですけど、「自分はもっとできる」って思うし。「もっと上を目指したい」って気持ちがあるからバスケットを続けられるんだと思います。もし国内だけで満足できるような自分だったら、別の競技に転向してるって思いますね。

―仮定の話ですが、もし転向するならどの競技に?

渡嘉敷 えーと、サッカーとかも面白いと思うんです。なでしこジャパンを目指すとか…。この身長は、どっかしらのポジションで役に立つかなって。冗談ですけどね(笑)。でも正直、日本にいたら楽でしょうし、応援してくれる人もたくさんいるんで楽しいと思うんです。でも自分、プレイヤーとしても人としても“最高で最強”を目指したいんですよね。

―どういうことですか?

渡嘉敷 試合で負けると必ず思い出す言葉があるんです。高校時代、負けた試合の後、井上(眞一)先生に「おまえが周囲にどれだけキャーキャー言われても、チームを勝利に導けないんだったらスーパースターでもなんでもない」って言われたんです。負けると、いっつもその言葉を思い出すんです。

自分が良くても、チームが勝たなかったら意味がない。私はまだ何者でもないんだって。だから、常に新しい自分を探していたいって思うんです。困難な道を選び続ければ、その道の先で、まだ私も知らない自分に出会えるんじゃないかって。

―なるほど。

渡嘉敷 自分、“バスケをするために生まれてきたんじゃないか”って思うんです。井上先生に「おまえは上を目指さなきゃダメだ。いつかWNBAに行け」ってすごい言われてたんで、乗せられた部分もあるんでしょうけど(笑)。「おまえはバスケット界を変える存在だ」とまで言われ続けたら「私がやるしかない!」ってなりますよね? それに自分からバスケを取ったらホント、なんも残んないですもん。勉強も苦手だし、料理だってできないし、「何ができるの?」って(笑)。

―では、どうなったら“最高で最強”ですか?

渡嘉敷 それは、自分でもよくわかんないです(笑)。日本一でもなく、世界一でもなく、宇宙で一番になれるくらいが最強だと思ってます。そのために何をしたらいいかはわかんないんですけどね。こんな話をすると、「渡嘉敷の頭は大丈夫か!?」って思われるんですけど(笑)。

―なにか『ドラゴンボール』的な勢いは感じます(苦笑)。

渡嘉敷 ハハハハハハ。なんか上手く言葉にはできないですけど、自分でも楽しみなんです。こっから始まるんだみたいな。新たなスタートラインに立った感じで。どうやったら辿り着くかわからないですけど、少しでも“最高で最強”に近づく道を進もうと思います。失敗したって挫折したってマイナスじゃない。ミリ単位かもしれなくても、必ず成長できるはずだから。

―場違いな質問ですが、その背の高さがコンプレックだったことはないですか?

渡嘉敷 それがないんですよね。自分でもビックリなんですけど。小学校時代、男子に「デカイ!」って言われても「おまえがチビなの!」って言い返してましたし(笑)。その男子、「中学になったら身長抜いてやる!」って言ってたんですけど、私もドンドン伸びたんで、結局抜かされなかったんですよね。女のコっぽいフリフリの服も昔から興味がなくて。母親は着せたかったらしいですけど。

―背が高いことも、明るくポジティブなのも小さい頃からなんですね。

渡嘉敷 昔からなんですよね。明るすぎて、プライベートだと「ふざけてるの?」ってよく言われますから(笑)。バスケの時だけはマジメなんです。それに今回のWNBAへの挑戦は、自分が望んだことではあるけど、たくさんの人が動いてくれて実現したことです。しかも、遡(さかのぼ)れば萩原(美樹子)さん、大神(雄子)さんが切り開いてくれた道でもある。

このバトン、いつか私も誰かに渡さなきゃいけないと思いますし、そのためにも日本を背負っているって意識で戦ってきます。だから、ずっとベンチにいたらもったいない。どうせ行くならコートに立ってプレーしたいです。存在感を出して、WNBAでも必要とされるプレイヤーになってきます。

―では、存在感を示すために「こんなプレーを必ずする!」と宣言してください。

渡嘉敷 そうですねえ…。じゃあ、ノーマークで速攻になったら、必ずダンクします! 外れてもいいんでやります。ミスなんか恐れず、絶対にインパクトを残してきます。

―ひとつずつ夢を叶えていく姿、頼もしいです。日本から応援してます!

渡嘉敷 私、名前は来夢ですけど、夢からは歩いて来てくれないと思うんで、自分から夢を掴(つか)みに行ってきます!

(取材・文/水野光博 撮影/利根川幸秀)

●渡嘉敷来夢(とかしき・らむ)

1991年6月11日生まれ。埼玉県出身。192?78kg。日本と米国のハーフの父を持つクオーター。中学1年でバスケを始め、名門桜花学園高では3冠達成に貢献。10年にJOMOサンフラワーズ(現JX−ENEOSサンフラワーズ)に入団。13年アジア選手権で日本を優勝に導き、大会MVPを獲得。WNBAで日本人選手がプレーするのは萩原美樹子(97、98年)、大神雄子(08年)以来、3人目。今季のWNBAは6月5日に開幕し、シーズン終了後、渡嘉敷はJX−ENEOSでプレーする