盛りあげよう!東京パラリンピック2020(23)

 冬季パラリンピックの花形競技であるアイススレッジホッケー世界選手権(アメリカ・バッファロー)が閉幕。世界のトップ8カ国(カナダ、アメリカ、ロシア、チェコ、ノルウェー、イタリア、ドイツ、日本)が参加し、地元アメリカが優勝、2位にカナダ、3位にロシアが入った。日本は5戦全敗で最下位の8位だった。

 日本はグループ予選でカナダ、チェコ、ノルウェーと同じグループA。初戦のカナダ戦では、試合開始からわずか20秒で失点すると、前回王者の圧倒的なスピードに終始翻弄され、立て直す間もなく0−17の大差で敗れた。2戦目のチェコ、3戦目のノルウェーは、いずれもカナダほどのスピードはない相手だが、日本は簡単にディフェンスラインを崩され、それぞれ1−2、5−0で3連敗を喫してしまう。

 日本は、グループB3位のイタリアとのプレーオフにすべてを懸けた。この試合に勝てば6位以上が確定し、Aプール残留が決まるからだ。直前に行なわれたプレーオフのもう一試合、チェコ対ドイツ戦では、通算得点「0」で予選全敗だったドイツが格上のチェコを相手に虎の子の「1点」を守って勝利し、Aプール残留を決めた。日本代表は「俺たちにもできる」と刺激を受けて試合に臨んだという。

 しかし、実際は苦しい展開が待っていた。立ちあがりから波に乗れず、試合の主導権をイタリアに握られる。3点ビハインドで迎えた第2ピリオドに熊谷昌治(FW)が1点を返すが、その後は決定打が出ず、1−5で敗れた。この時点で7位以下が確定し、同時にBプール降格が決まった。結局日本は、最終戦の7〜8位決定戦でもチェコに敗戦を喫し(1−0)、最下位に沈んだ。

 大会を振り返ると、カナダとアメリカのホッケーセンスと戦術は突出しているものの、それ以外の国の実力は拮抗している印象だ。それゆえ、日本にもチャンスはあったはずだが、焦りからか一度ボディチェックを受けるととたんにパックが手に着かなくなり、カウンターを食らって失点するというミスを繰り返した。パスとレシーブの精度も低く、それを挽回する体力もなかった。成績はランキング通りといえばそれまでだが、あえて辛口に言えば、8カ国のなかで日本だけがAプールのレベルに達していなかった。

 その原因の根底にあるのが、深刻な問題となっている人材不足だ。国内のアイススレッジホッケー人口はわずか30人前後。代表入りしてもチーム内での競争原理が働かず、結果として競技力が向上しにくい。他国と比べて平均年齢が38歳と高く、圧倒的に選手層が薄いのが悩みの種だ。

 たとえば、体力の消耗が激しいアイススレッジホッケーは、主に3セットが交代しながら氷に乗るが、日本の場合は多くの時間をベストメンバーの1セットでまわしているという状況だ。司令塔としてチームを引っ張る高橋和廣(FW/36歳)やキャプテンの須藤悟(DF/44歳)らベテラン勢が、そのメンバーである。

 そんな中、今回はそこに2010年のバンクーバーパラリンピック後に競技を始めた堀江航(DF)と熊谷昌治(FW)も名を連ねた。堀江は35歳、熊谷は40歳。10代後半から20代の選手が中心で、3セットを組んでくるカナダやアメリカを始め、世界には水をあけられたが、彼らが必死にその背中を追い、最後まで前線で戦いぬいたことは大きな意味があったに違いない。

 今大会、日本の3得点中2ゴール1アシストをマークした熊谷。ファーストラインのフォワードとして爪痕を残したが、「世界のものすごいプレッシャーにジタバタしてしまい、対応できなかった」と唇を噛んだ。

 熊谷はバイク事故によって右ひざ下を切断。柔道などの武道経験者で団体競技には縁がなかったが、地元の長野チームに所属する吉川守(FW/45歳)に誘われ、バンクーバーパラリンピックの銀メダルを見せてもらったことが競技に取り組むきっかけになった。氷に乗り始めた当初はスレッジでバランスをとることすら難しく、「このまま本当に続けられるのか、と不安になった」。だが、吉川をはじめチームメートの献身的な指導もあってぐんぐんと上達。アイススレッジホッケーと出会ってからわずか3カ月で、日本代表に選ばれるまでになった。初めてのアメリカ遠征では試合に出る機会がなかったが、「日本代表の主力選手になる」という目標を掲げ、世界に飛び出した。

 12年の世界選手権(ノルウェー)がAプールデビューだ。だが、オンタイムの時間は最終戦となる順位決定戦のみ。翌年2月のイタリア遠征でもベンチを温める時間が長かった。だが、その悔しさをバネに奮起し、その年に長野で開催されたBプール世界選手権では得点に絡むまでに成長。粘り強いチェックで相手の体力を消耗させる役割もこなした。

 アイススレッジホッケーを始めてから3年半で迎えた、ソチパラリンピック出場権をかけた最終予選(イタリア)では中心メンバーになりつつあったが、首脳陣の方針でセカンドラインに甘んじた。チームは敗れ、自分の目標も達成できず、まさかのパラリンピック出場を逃すという事態に、不覚にも涙がこぼれた。「本当に悔しかった。でも、その苦い経験があったから、ここまで来ることができた」と熊谷。

「代表になったからOKというわけじゃない。今回も、この惨敗の意味をきちんと考えられる選手がどれだけいるか。自分はもちろんだけど、チーム全体がこの悔しさを糧にしないと」と、チームメイトに発破をかけ、覚醒を促す。

 とはいえ、自身の競技経験の浅さも世界との実力差も自覚している。今大会、海外勢にリズムを握られて周りが見えなくなり、判断が甘くなったりする場面も多く、アイスホッケー経験者でもある高橋から叱咤されることも。また、味方のイージーミスで失点した時は、リンクでもベンチに下がってからも怒りがおさまらなかったが、中北浩仁監督から「それじゃあエースになれないぞ」と指摘された。「追い込まれた時こそ冷静な対応をして、チームを盛り上げる選手にならないと」と心に刻んだ。

 平昌パラリンピックに向けての目標は、「日本のエースになること」と言い切る。「チームとしてはもちろんBプールで這い上がって最終予選につないで、パラリンピックに出場すること。個人的には、チームを引っ張っていける存在にならないといけないと思っています」

 尊敬するプレーヤーには、日本とロシアのキャプテンの名を挙げる。「須藤さんは口数が少ないけれど、僕が弱気になった時に、必ず冷静に大丈夫だよって言ってくれる安心感がある。ロシアのドミトリー・リソフもタフで冷静。プレー中は本当に怖い顔をしているけど、氷を降りると周りに気配りができるナイスガイ。そういう姿をチームメートに伝えられるようになりたい」

 競技者としては、まだまだ成長途中にある。だが、まだ見ぬパラリンピック出場を叶えるまで、絶対にあきらめるつもりはない。不惑の40歳が、平昌パラリンピックに向けてリスタートを切る。

荒木美晴●取材・文 text by Araki Miharu