法廷でのO.J.シンプソン

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 血なまぐさい凄惨な事件は、深夜のロサンゼルスで起きた。1994年6月12日の午後11時、サウス・バンディ・ドライブ875番地のコンドミニアム。血の海に沈んだ2人は、こと切れていた。女は、元プロフットボール名選手、O.J.シンプソンの前妻ニコール・シンプソン35歳。男は、俳優志望のレストランウェイター、ロナルド・ゴールドマン25歳。

 1979年に引退したシンプソンは、最初の妻と離婚後、1985年にニコールと再婚。しかし、シンプソンのDV(家庭内暴力)が絶えない。1992年にニコールは、2人の子供を連れて離婚。シンプソンの嫌がらせを再三受け続ける。殺人事件の1月前、シンプソンは「別の男と一緒にいるのを見たら殺す」とニコールを脅迫した。

 頸部を深々と切断されたニコールは、後頭部に鈍器による挫創 、手に抵抗した切創。ゴールドマンは、顔、頸部、体と左大腿上部に合計19個の刺創、後頭部に深い挫創があった。

 犯人は右利きで、背後から頸部をかき切ったらしい。2人の損傷が類似し、現場に1組の血の足跡があるため、単独犯行と推定。ニコールの死体の傍らに、左手の革手袋が落ちていた。

シンプソンは、嫉妬妄想に取り憑かれたオセロ症候群?

 シンプソンは、オセロ症候群だったという。オセロ症候群は、パートナーが浮気をしていると思い込んだり、浮気をしていないことを確かめようと追いつめる偏執狂的な精神病だ。裏切られる、見捨てられる、強迫観念、嫉妬心、不貞妄想が抑え切れなくなると、暴力に走る。

 オセロ症候群は、シェイクスピアの四大悲劇の一つ「オセロ」にちなむ。ヴェニスの軍人オセロは、旗手イアーゴーの策略にはまり、妻のデズデモーナの貞操を疑い殺害。その後、真実を知ったオセロは自殺を図る。

明白な物的証拠、不利な状況証拠が次々と明るみに。無実を訴えるシンプソン

 ロス市警殺人課の刑事フィリップスとファーマンは朝5時頃、現場から約2マイル離れたシンプソンの自宅へ向かった。シンプソンの車フォード・ブロンコの運転手側のドアと、助手席のコンソール上に血痕を認め、裏庭の通路で右手の革手袋を発見。

 刑事らはシンプソンを任意聴取。シンプソンは、ケガをした手の血がフォード・ブロンコについたと供述。指紋と血液が採取され、抗凝固剤EDTA (エチレンジアミン四酢酸) を添加して警察が保管した。

 シンプソンの寝室から血染めのソックスを発見。事件が発生した時間の25分間、シンプソンは電話に出ず不在。フォード・ブロンコを運転する姿も目撃される。だが、目撃した女性は、後にシンプソンから5000ドルをもらい、目撃証言を撤回した。

 シンプソン家で発見された右手の革手袋の血痕は、DNA鑑定でシンプソンと被害者2人のものと判明。現場の血の足跡は、シンプソンの足のサイズと完全に一致。事件当時のアリバイが不明。多数の物的証拠と状況証拠がシンプソンを真犯人だと名指した。

 6月17日、シンプソンの逮捕状が出た。シンプソンはフォード・ブロンコで逃走。カーチェイスの映像が全米に流れる。警察のSWATチームや多数のメディアに包囲され、午後9時に逮捕。車中にパスポート、マグナム・レボルバー、8000ドルの現金。しかし、シンプソンは無実を訴え続けた。

DNA鑑定は、570億分の1の確率でクロ、陪審員12人全員がシロ。オセロの真偽は?

 事件の2年前、ロス暴動があった。黒人男性ロドニー・キングが白人警官4人から暴行を受け、警官は白人住民の多いシミ・バレーで裁判を受けて無罪放免。怒った黒人住民が憤然と立ち上がった。こうした背景があったため、人種差別が争点になることを恐れ、白人でも黒人でもない日系人ランス・A・イトウが裁判官に選ばれ、シンプソンに対する刑事裁判は1995年1月24日に開廷した。

 検察は、白人優位のサンタモニカを避け、裁判管区をロサンゼルスのダウンタウンに移す。陪審員12人は、黒人8人、中南米系2人、白人1人、白人とインディアンの混血1人の黒人絶対多数。検察は、シンプソン有罪でも、死刑を求刑しないと宣言。弁護団は、ロバート・シャピロを筆頭に、DNA鑑定の専門家2人を含む11人。いずれも高名な弁護士たちが名を連ねた。

 主席検事は名実ともに敏腕のマーシャ・クラーク。山ほどある物的証拠と状況証拠。勝訴は読めた。弁護団の戦略は、白人の支配する司法システムの犠牲になった黒人被害者の救済。だが、シンプソンは白人女性と結婚しただけでなく、白人社会を尻目にのし上がり、名声を挙げた紛れもない黒人成功者だった。

 検察側はニコールへの執拗な脅迫、殺害推定時刻 (午後10時15〜20分)のアリバイなし、凶器のナイフ購入、PCR (ポリメラーゼ連鎖反応) 法によるDNA鑑定の結果、シンプソンのDNA型がすべて一致など。数々の歴然たる事実からシンプソンを真犯人と主張。シンプソン以外の他人が偶然一致する確率は、570億分の1だった。

 ちなみに、PCR法は、微量のDNA断片からDNAのコピーを短時間で大量に得られる分析法。合成酵素連鎖反応ともいう。20回の反応の繰り返しで100万個以上のDNAのコピーを入手できるため、個人識別、親子鑑定、遺伝病診断、犯罪捜査などに活用されている。

 一方、弁護団はシンプソンの無罪を一貫して主張。新しいガールフレンドがいる。殺害推定時刻の午後10時50分過ぎに帰宅してアリバイがある。凶器は発見されていない。警官がシンプソンの血液を現場にばらまいた。すべては、警察の捜査ミスと人種差別主義者の刑事のでっちあげである、とした。

 結果、1995年10月3日、陪審員12人は全員一致でシンプソン無罪を評決した。

 1996年10月23日、ニコールとゴールドマンの遺族が慰謝料請求の民事裁判を提起。1997年3月10日、シンプソンに850万ドルの補償賠償支払命令と2500万ドルの懲罰賠償支払命令。家財道具が差し押さえられる。

 刑事裁判と民事裁判の違いは、立証責任の有無だ。刑事裁判は検察が有罪を100 %証明しなければならない。民事裁判は有利な証拠を握ったほうが勝つ。さらに陪審員制度は、刑事裁判では全員一致で評決するが、民事裁判では多数決で結審する。血にまみれた猟奇事件は、陪審員の人種のバイアスによって評決される陪審員制度の正義を問う事件でもあった。

 DNA鑑定の結果は、シンプソンのクロを指し示す。DNA鑑定が精確でも、現場の捜査・証拠の採取が警察による偽装なら、公正な判断は不可能だ。ただ、多数の証拠を一部の警官だけが偽装したとは考えにくい。最先端のDNA鑑定も、人種問題の前では無力なのだろうか。
(文=佐藤博)

佐藤博(さとう・ひろし)
大阪生まれ・育ちのジャーナリスト、プランナー、コピーライター、ルポライター、コラムニスト、翻訳者。同志社大学法学部法律学科卒業後、広告エージェンシー、広告企画プロダクションに勤務。1983年にダジュール・コーポレーションを設立。マーケティング・広告・出版・編集・広報に軸足をおき、起業家、経営者、各界の著名人、市井の市民をインタビューしながら、全国で取材活動中。医療従事者、セラピストなどの取材、エビデンスに基づいたデータ・学術論文の調査・研究・翻訳にも積極的に携わっている。