岡田有希子 死の2日前に撮った「秘蔵写真」と「肉筆手紙」を独占入手

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 アイドルの岡田有希子(享年18)がビルから飛び降り命を絶ったのが86年4月8日。衝撃の死から29年、岡田の「秘蔵写真」と「肉筆手紙」を独占入手した。知られざる生前のエピソードとともに初公開する!

「彼女の地元、名古屋でのコンサート終了直後に撮らせてもらったんです。厚化粧になったことを茶化して『おしろい濃いね』と言ったら、『また冗談ばかり言って〜』とポンと肩を叩いてきて‥‥。屈託のない笑顔でした。まさか飛び降りるとは思いもしませんでした」

 写真の日付は1986年4月6日。岡田有希子が命を絶つ2日前だ。写真を撮影した三浦学氏が、岡田との交流を振り返る。

「もともと佳代さん(岡田の本名)のお母さんの孝子さん(故人)と知り合いでした。とても優しくて話しやすい方で、電話で話をするうち、佳代さんに代わってもらったり、実家にお邪魔させてもらうようになったんです」

 岡田が三浦氏宛てに書いた手紙にはこうある。

〈いつも応援ありがとう/これからもよろしく/学君も病気に負けないで夏バテには気をつけて/がんばってネ/有希子〉

 三浦氏が高校で寮生活を送っていた頃のものだ。

「私は寮での食事が合わずに栄養失調で体調を崩してしまった。孝子おばさんから聞いて、励ましの手紙を送ってくれたのでしょう」

 芸能界入りに猛反対する母親を説得するため、岡田は名古屋市内でトップクラスの成績をおさめ、83年夏に上京した。

 母・孝子さんは三浦氏への手紙の中で複雑な思いを吐露していた。

〈出来ることなら高校で普通の生活をして欲しかったのですけど、自分の意志を貫いたこと、我が子ながら立派だと思います〉

 歌手デビューを果たした84年4月、岡田は名古屋でデビューイベントを成功させた。当時の手紙には丁寧な字でこうつづられていた。

〈自分の故郷名古屋でできてとってもうれしかった(中略)これからも有希子を応援して下さいネ 新幹線の中なので特に! 汚い字ですがゴメンナサイ。お元気で‥Bye-Bye〉

 その年、岡田は「日本レコード大賞」をはじめ、新人賞を総なめにした。

「孝子おばさんに電話したら、とても喜んでいました」

 岡田は実家に帰省すると自分のコンサートのビデオをチェックするのが常だった。だが、そんな岡田を見て孝子さんは、

「家に帰った時くらいボーッとしていればいいのに」

 と、その真面目すぎる性格を気にかけていたという。

 約3年に及んだ岡田母娘との交流は、“あの日”を境にとだえた。最後に三浦氏はこう結んだ。

「私自身、つらかった10代を手紙や電話で後押ししてもらったこともあり、あの母娘に出会えたことを今でも感謝しています。そしてあのアイドル全盛時代に、オリコン1位を獲得するまでになった母娘の頑張りを、いろんな人に知ってもらいたかったんです」

 岡田が眠る墓には、今も多くの花が手向けられている。彼女を愛した人々の時間は止まったままだ。