“論争の的”の大ヒット映画『セッション』への疑問
 かつてジャズドラマーを目指した監督が、体験をもとに低予算で作った映画『セッション』が、大ヒットしています。世界で51の映画賞を獲り、日本でも絶賛の嵐。そのなかで酷評したジャズミュージシャン・菊地成孔氏と、この作品を応援する映画評論家・町山智浩氏のネット上での論争も話題になっています。

 以下は、論争が注目される前に石黒隆之氏(音楽批評)から寄せられらたレビューですが、これがかなりの厳しい評価。賛否があるほうが盛り上がるわけで、ぜひ映画館に足を運んでみてください。

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◆劇画チックな鬼教官

 4月17日から全国ロードショーが始まった映画『セッション』。世界的なジャズドラマーになりたい青年ニーマンに、音楽学校の鬼教官フレッチャーが怒鳴り散らし、時にはビンタしてまで徹底的にしごき上げる。そんなレッスンの場面が話題を呼び、第87回アカデミー賞で3部門を受賞しました。

⇒【YouTube】映画『セッション』予告編(4/17公開) http://youtu.be/v7jEDQlR9BY

 ところがこれが何と表現してよいものやら……。ミュージシャンの菊地成孔氏は、ぞんざいなジャズの扱われ方に加え、本作が「ヴァイオレンスとハラスメントによって駆動する物語」と断じましたが、はて、この物語は駆動していると言えるのでしょうか。

 まず教官の登場シーンに引っかかりました。音合わせをしながら雑談しているところに廊下から靴音がすると、直立不動になる生徒たち。教室に入り、指揮台に立つフレッチャーがそれをギロリと見回す。恐怖心を分かりやすく煽ってくれるのはありがたいのですが、どこか『スチュワーデス物語』を思い出してしまい、なかなか入り込めません。

 太く縁取りされた劇画チックな演出は、演奏指導の場面でも同じ。「ユダヤのカス」だとか「アイルランドのホモ野郎」だとかの差別表現。はたまた「てめえの小さいサオがどうたらこうたら」とかいう罵倒の数々もむしろ懐かしく響く。口汚くがなり立てるフレッチャーのテンションもほぼ一定だし、音楽と関係ない言葉ばかりなので観る側も早い段階で慣れてしまうのですね。

 これだったら、何度やっても「Carol」のダブルチョーキングがうまく弾けないキース・リチャーズをネチネチと追いつめるチャック・ベリーのほうがよっぽど怖いというもの。(注・ ドキュメンタリー映画『ヘイル!ヘイル!ロックンロール』からのシーン)

◆主人公がシゴキに耐えるのはなぜ?

 また主人公ニーマンのモチベーションもよく分かりません。一応バディ・リッチのように偉大なドラマーを目指していること。そして学内で最高の評価を得ているフレッチャーのバンドの第一奏者になりたがっていることは分かります。でもそこにニーマンなりの趣味がないので、「偉大であること」と「ファーストチョイスであること」ばかりが際立ってしまう。

 確かに部屋に貼ってあるジャズドラマーのポスターや「才能のない奴はロックに走る」と書かれた記事の切り抜きから、だいたいの傾向はつかめます。しかし自身の言葉で音楽を語るシーンがただの1秒もない。なので観る側も軸足をどこに置いたらよいのか分からなくなってしまう。

 流血もいとわずドラムを叩き続けることが音楽上ゆずれないからなのか、それともただフレッチャーにやり返したいからなのか。

<主人公が憧れるバディ・リッチ(向って右)>
Buddy Rich and Ed Shaughnessy Play Drums on “The Tonight Show Starring Johnny Carson” - 1978
⇒【YouTube】http://youtu.be/1QXdi25469U

 こうしてメインキャストについてのモヤモヤが晴れないまま、旧き良き罵詈雑言とYouTube上のテク自慢と大差ないドラム演奏が響き続ける『セッション』。口数と手数は有効に絡み合うことなく、互いのインパクトを消し合います。ゆえに本作の一番の問題は、モチーフでありながらドラムという楽器の魅力が何一つ伝わらないところにあると言えそうです。

◆ドラムという楽器の魅力が伝わってこない

 たくさん音は鳴っていてボリュームも大きい。スティックさばきも見事。なによりもライブ映像として“正しい”。しかし肝心のフレージングがまったく残らないのですね。ニーマンの役どころが基礎を叩きこまれる学生だとしても、音楽映画としては致命的な欠陥だと言わざるを得ません。

 スクリーン上のキャラクターもまたひとつの人格。その背景描写が不十分だったら、どんなに派手な演奏シーンも上滑りしてしまいます。その点で対照的なのが次の二作品なのではないでしょうか。

 映画『クレイジー・ハート』(2009年・米)の最後に「The Weary Kind」を歌うコリン・ファレルや、『センチメンタル・アドベンチャー』(1982年・米)でのクリント・イーストウッドは、どちらもギターコードを押さえる指がめちゃくちゃです。それでも興をそがれないのは、そこに人物と呼べるだけの存在があるから。コードフォームが分からなくても、その曲を歌うときのまなざしや背中の丸め方がふさわしければ気にならないのです。

 残念ながら『セッション』にはそういった人間がいませんでした。全てはプロットからはみ出さぬよう正しく動く駒でした。デイミアン・チャゼル監督はそれを見事にコントロールしてみせました。しかしその優秀さが映画から音楽を消したかもしれないと思うと、何とも皮肉です。

●『セッション』はTOHOシネマズ新宿ほかにて公開中
配給:ギャガ (C) 2013 WHIPLASH, LLC All Rights Reserved.
オフィシャルサイト http://session.gaga.ne.jp/

<ザ・フーのドラマー、キース・ムーン。映画のあと真っ先に観たくなった動画>
The Who - Won’t Get Fooled Again (Live In Texas ’75)

<TEXT/音楽批評・石黒隆之>