『やさしい女・白夜 (講談社文芸文庫)』ドストエフスキー 講談社

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 ロベール・ブレッソン監督による映画『やさしい女』。1969年に製作された本作品は、1986年の日本公開以来、長らく上映機会を失っていましたが、このたびデジタルリマスター版となって4月4日より東京の新宿武蔵野館、続いて、全国で順次公開されることとなりました。

 この映画の原作となっているのは、1876年に発表されたドフトエフスキーの『やさしい女』。ある女性が両親の形見であった聖母マリアのイコンを両手に抱き飛び降り自殺を図るという、当時実際に起こった事件に衝撃を受けたことがきっかけとなって書かれた中篇小説です。

 質屋を営む、ひとりの中年男性の視線が注がれる先には、テープルの上に横たわる、数時間前に窓から飛び降り自殺を図ったばかりの妻の遺体。なぜ妻が自殺を図ってしまったのか、事態を受け止め切れない、むしろ受け止めることを拒否し、自問自答しながら混乱をきわめている男の独白からストーリーははじまります。

「彼女がここにこうしているあいだは、まだいい。いつでも近づいていって、顔を見ることができる。だが、明日、運び出されてしまったら、私ひとり取り残されて、いったいどうしたらいいだろう?」(原作より)

 質屋に訪れた、あと3ヶ月で16歳となる女と初めて出会ったときのことから、結婚を申し込むまで、そして結婚生活、飛び降りる直前までの記憶を、わき道にそれながらも辿っていこうとする主人公の男。しかし、どのような思考の経路を辿ろうとも「いったいなんのために彼女は死んでしまったのか?」という問いを自らに投げかけることで、絶望的な真実から目を逸らそうとします。

「ああ、軽蔑してくれてもいい、一生軽蔑し続けてくれてもいい、ただ生きてさえいてくれれば、生きてさえいてくれれば!ついさっきまで歩いたり、話したりしていたじゃないか。いったいどうして窓から飛び降りたのか、まるで分からない」(原作より)

 女の何気ない動作や言葉、沈黙、まなざしの変化。男はそこに何を読み取っていたのでしょうか。
そしてついに最後まで、男の次のような問いかけが虚空に響くなか、ストーリーの幕は引かれます。

「時計の振り子は無情にカチカチと不快な音を立てる。夜中の二時だ。ベッドのそばには彼女のかわいい靴が立っている。まるで彼女を待っているようだ......いや、本当に、明日、彼女が運び去られてしまったら、私はいったい、どうしたらいい?」(原作より)

 男の問いかけに、もはや永遠に口を開くことなく、沈黙を選んだ女。愛を巡ってすれ違ってしまった男女。映画を観る前に、ドフトエフスキーの描いた原作の世界に浸ってみてはいかがでしょうか。