名選手名監督にあらず。サッカー界にはそうした定説があるが、それ以上に確かなこととして言えるのが「GK出身の元選手に名監督は少ない」だ。

 名監督である以前に、GK出身の監督の数そのものが少ない。ディノ・ゾフ、エメルソン・レオン。そして横山兼三。頭にパッと名前が過ぎるのはこの程度。GKの仕事内容と、監督の仕事内容に接点が少ない。あるいは、それぞれの思考回路に共通点が少ない。そこに理由があると考えるのが自然だ。フィールドプレイヤーとGKは別の職業。GKは将来の監督に適さないポジション。強引に言ってしまえばそうなるが、今季のチャンピオンズリーグには例外が出現した。

 準々決勝ポルト対バイエルン戦は、勝った強者より、敗れた弱者に目が行く試合だった。ポルトはまさに、敗者の監督の顔が見たくなるサッカーをした。

 監督のロペテギは、クライフ時代、バルサの一員に名を連ねた元GK。レギュラーではなかった。カルレス・ブスケツの控えだったが、プレイスタイルは、そのセルヒオ・ブスケツの父とほぼ同じ。スウィーパー、リベロの役割を兼ねた、最終ラインの直ぐ後ろに構えるGK、11番目のフィールドプレイヤーと言うべきGKだった。 

 モデルになっていたのは、74年西ドイツW杯で準優勝に輝いたオランダ代表で、GKを務めたヤン・ヨングブルート。名将リナス・ミホルスが、トータルフットボールを実践するために選んだとされる足技得意なGKだが、クライフのGK選びも、これと同じコンセプトだった。つまりブスケツ、ロペテギは、攻撃的な姿勢を貫く、クライフサッカーを象徴する存在と言ってよかった。

 およそGKらしくないGK。ポルトのサッカーが目に眩しく映った理由は、監督の現役時代のGKとしてのスタイルに起因している。

 準々決勝第1戦。ロペテギは強者バイエルンに対して、超攻撃的な姿勢で臨んだ。可能な限り高い位置からボールと相手を追いかけるハイプレッシング戦法で、相手守備陣をパニックへと誘った。

 結果は大成功。バイエルンは魔法に掛かったように沈黙した。ポルトは第1戦を3-1で折り返すことに成功した。

 しかし、色気が出たのだろう。第2戦は初戦とは一転。強者に対して受け身に出た。インパクトに欠ける大人しサッカーをした。引いて守ったわけではないが、プレスの威力は初戦の3分の1にも満たなかった。前半を終わって0−5(通算3−6)。後半は初戦を取り戻し、強者に互角以上の戦いを見せたが、時すでに遅し。1−6(通算4−7)で敗れ去った。

 番狂わせは起きなかった。ポルトは結果を残すことができなかった。

 試合経過がどうあれ、メディアは強者の勝利を優先する。健闘した弱者の話題は二の次にされる。少なくとも日本では、ポルトの健闘が大々的に報じられることはなかった。ロペテギも知る人ぞ知る監督に終わった可能性がある。

 しかし、日本のサッカー界にとって有益な情報は、どちらだろうか。日本と立ち位置が似ているのは、明らかにポルトだ。バイエルンではない。弱者が強者を苦しめる姿は、まさにお手本。「負けてしまえば元も子もない」と言いそうな、結果至上主義者には、こう言いたくなる。

 もしこれが90分一本勝負のワールドカップなら、ポルトは3−1で勝利していた、と。番狂わせは起きたことになる。

 CLよりW杯の方が番狂わせは起きやすい。CLには、強者が対応策を練る時間があるが、W杯にはない。ハーフタイムに限られる。

 W杯はCLに比べれば、弱者に有利な大会だと言える。

 相手をどれだけ驚かすことができるか。試合時間が180分のCLでは、それだけでは勝てそうもないが、90分のW杯なら勝てる可能性がある。初戦でポルトがバイエルンに仕掛けたようなハイプレッシングが、番狂わせを引き起こす原動力になる可能性は十分にある。

 この手の「一発芸」を持っているか。相手をパニックに陥れるハッタリの効いた采配ができるか。W杯本大会を戦う日本代表監督に、これは不可欠な資質になる。最も必要なものと言っていい。ハリルホジッチにそれは備わっているのか。もし不足していると感じるなら、本番用にロペテギのような監督を、いまから探しておくべきだと思う。