白人が支配する「日本」は未来の日本か?田中慎弥・問題作『宰相A』を語る

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 出版界の最重要人物にフォーカスする『ベストセラーズインタビュー』!
 第67回の今回は、2月に新刊『宰相A』(新潮社/刊)を刊行した田中慎弥さんです。
 小説家の「T」が迷い込んだパラレルワールドの日本と、日本人を差し置いてその地を支配するアングロサクソン。そして首相の名前は「A」…。
 あからさまにモデルが特定できる挑戦的なタイトルと、タイトル以上に過激な内容が、昨年文芸誌上で発表されて以来大きな話題を呼んでいるこの作品はどのように構想され、書き上げられていったのでしょうか?

■集団になると暴力的になる恐ろしさ
――田中さんの作品について語られる時にキーワードとしてよく使われるのが「暴力」です。『宰相A』でも「暴力」は扱われているのですが、「暴力そのもの」よりも「暴力が生まれる背景」や「暴力に至るまでの群衆行動」が強調されているように思いました。


田中:確かに、これまで暴力を書く時は、その背景や結果ではなく暴力そのものを独立して書くことが多かったと思います。
ただ、この作品に関しては、肉体的な暴力であれ社会システム的な暴力であれ集団になると人間の暴力的な面が顔を出すこと、それが国家という規模になってもそうなってしまうことは書かないといけないとは思っていました。
だから、人間の群衆心理も含めて、暴力がどう発生し、その結果どうなるかというところは、作品を成立させるためにも有機的に書く必要があったんです。

――特に生々しかったのは、「居住区」に押し込められた「旧日本人」たちの欝憤が溜まって爆発するまでの過程です。

田中:私自身は殴り合いのケンカをするわけではないですから想像するしかないのですが、普段は全然暴力的ではないのに、みんなと一緒になると暴力的になるという恐ろしさですよね。
語り手の「T」は一人で「宰相A」の世界に迷い込んでいますから、その世界の中では支配層のアングロサクソンでもなく、「居住区」の「旧日本人」でもない、どの集団にも属さない一個人です。その一個人が、一致した価値観を持つ集団とぶつかり合い、拷問されるところまで行ってしまう。そういう「共同体対個人」という構図もこの作品にはあります。

――「性」の扱われ方も滑稽で独特でした。これにはどのような狙いがあったのでしょうか。

田中:車の中の場面ですよね。全体を通してシリアスな話なので、橋の上に停められた車の中で「T」がセックスをするあの場面だけは滑稽に書こうというのはありました。
当人同士は一生懸命でも、その姿が傍から見るとおかしく見えるということはあるわけで、その一番極端な例が「性」だと思うんです。性っていうのは日常的で人間的であると同時に、傍から見ると笑えるものでもある。
そのおかしさを表現できるのではないかと思って、あの場面は会話だけで書いています。

――作中で「A」は実際には登場しないものの、その存在感はやはり際立っていますね。

田中:体が弱いというところが現実の安倍さんと重なってしまうのですが、「A」は周りがみんなアングロサクソンの日本で、たった一人宰相に祭り上げられている弱い存在として書いています。語り手の「T」からしたら映像でしか見ることのできないところにいて、非常にか弱いにもかかわらず絶対的な存在として日本に君臨しているという「A」を書きたかったんです。

――「A」の身体的な特徴である「巨大な局部」は怪物的で、どこかガルシア=マルケスの『族長の秋』に登場する、大きな睾丸を持つ独裁者を思わせます。

田中:『族長の秋』という発想はなかったですね。独立国家でありながら、何か大事なエネルギーを抜かれている日本という国、それと、男が作り上げている現代に対して「男ってそんなに立派ですか」という自分なりの見方を、「A」の大きくはあっても柔らかいままの局部で表したつもりです。

第三回 ■「表現の自由」小説家として感じること につづく