『モレル谷の奇蹟』ディーノ ブッツァーティ 河出書房新社

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 こんな傑作がまだあったのか! 恐るべしブッツァーティ!

 仄暗い詩情と不条理が滲む奇想短篇の数々(岩波文庫『七人の使者・神を見た犬』、光文社古典新訳文庫『神を見た犬』が入手しやすい)、ヌーヴォーロマンの先駆もしくは静謐なシュルレアリスムとも言うべき長篇『タタール人の砂漠』(岩波文庫)は、早くからモダン・クラシックとして評価を確立している。それに対し『モレル谷の奇蹟』は本国イタリアでさえ充分な評価を与えられてこなかった。本書に付されたロレンツォ・ヴィガノの解説「ディーノ・ブッツァーティと、生の奇蹟」によれば、1971年の初刊本も83年の新版も書店から早々に姿を消し、再版されぬままだったという。

 しかし、これは傑作。珠玉の短篇群とも斬新な『タタール人の砂漠』とも趣を異にしながら、まぎれもないブッツァーティ一流の想像力が躍動している。

 ブッツァーティは物語の手段として絵画も手がけ、その一端は邦訳のある『シチリアを征服したクマ王国の物語』(福音館文庫)でもうかがえる。本書は39枚の「想像上の奉納画」を主体として、それぞれにコメントを付した構成だ。「いきさつ」と題された前振り(小説ならプロローグにあたる)によれば、ブッツァーティは亡父の蔵書のなかから聖女リータの奇蹟を書きとめたノートを発見し、それを手がかりとして1938年にイタリア北部のモレル谷を訪れた。そこで簡素な祠と愛想の良い老人トーニ・デッタ・サンタと出会い、老人に案内された聖所でたくさんの奉納画を目にする。奉納画とは、聖人に願をかけ、それが叶ったときに感謝として経緯を描いた絵を奉納する習慣だ。原初的な筆さばきの奉納画に魅了されたブッツァーティはカメラを持ってこなかったことを悔やみ、できるかぎりのメモを取る。第二次大戦をはさんでモレル谷を再訪したときは、もう祠も聖所も見つけることはできなかった。地形は変わっていないのだが、あの場所へとつづく小道すら忽然と消え、地元の人に尋ねても祠など聞いたことがないという。あれは幻だったのか。

 しかし、印象は褪せることがない。その記憶とメモを頼りに再構成したのが、この『モレル谷の奇蹟』である。

 奉納画が記された年号によれば元の絵が描かれた時期は、古くは1500年まで遡り、新しいものでは1936年(つまりブッツァーティが聖所を尋ねる2年前)まで及んでいる。ほとんどが危機に遭遇した者が聖女リータの加護によって救われる内容だ。その危機は、自然災害や事故もあれば、煩悩による迷い(妖艶な女、大酒呑み)、猛獣(狼や熊)、民間伝承めいた怪異(海の大蛇、山老人、鬼男、吸血鬼)、はてはチャールズ・フォートが欣喜雀躍しそうな超常現象(火山から噴きだしてきた狂猫の集団、小ヘビが群がった雲、人の脳に入りこむアリ)まで多彩だ。

 なかには16世紀に月から飛来したダボリジニ星人とコルニアの町の住民との戦いを描いた絵なんてのまである。聖女リータが天使の大群と聖なる宇宙船を連れて援護し、侵略者を撃退する。SF的な題材では、女性に恥ずべき暴行を加えるロボットなんてものもある。聖女リータがこの狼藉者のメカニズムを故障させ、女性を救いだす。奇妙なことに、この奉納画に記された年号はMCMDXXとなっている。ローマ数字でそれぞれMは1000、CMは900、Dは500、XXは20だが、ふつうこんな並びにDが入ることはない(DがなければMCMXXで1920年だ)。ブッツァーティが奉納画の番人デッラ・サンタにここに描かれた出来事の場所と年代を問いただしても、答は横道にそれるばかりだった。

 奇蹟の情景を描いたナイーヴな絵画のカタログと見えるのは表面だけで、じつはこうした仕掛けがちょこちょこまぎれている。

 たとえば、1872年の奉納画「大アリ」では、重い鬱病に罹った十八歳のロベルタ・クロソウスキーが大アリに強姦されそうになる場面が描かれるが、このロベルタはなんと作家・画家ピエール・クロソウスキーの遠縁なのだという。ブッツァーティがクロソウスキーに聞いたところによれば、ロベルタは19世紀末のワルシャワ社交界で、もっとも魅惑的な「美しい盛りの娘」のひとりだった。こんなふうに実在する著名人の証言が引かれるのは本書では珍しいのだが、この奉納画そのものがクロソウスキーが繰り返し描いた「ディアナとアクタイオン」の構図とよく似ている。もちろんブッツァーティはそんなことをおくびにも出さず、〔かくも遠く離れた土地の出来事を語る奉納画が、どうしてモレル谷に存在するのか〕と澄まし顔だ。

 表紙にもなっている奉納画「化け猫」は1926年7月1日と日付があり、化け猫がダル・ポントなる女性を脅かす場面が描かれている。聖女リータがネズミの姿であらわれ、化け猫の注意をそらして事なきを得た。その顛末は怪異譚としては平凡だが、それよりも驚くのは当のダル・ポントが1968年まで生きており(もちろん90歳を越えている)、その彼女にブッツァーティが話を聞いていることだ。先述したように元の奉納画があった聖所や祠は夢のように消えうせたのに、絵の登場人物が時代を経て姿をあらわす。ブッツァーティは平然と〔(老女との)会見に成功した〕と書きつけているが、謎めいた聖所がずっと気にかかっていた読者にとっては、まるで蜃気楼を見るような気分だ。

 ところで、この「化け猫」の背景になっている建物、ぼくはジョルジョ・デ・キリコが好んで描くひとけのない町並を思いだしたが、どうだろうか。ほかにも、マグリットっぽいイメージだなとか、マン・レイ的なモチーフだなとか、ぼんやり思うところはいろいろあるのだが門外漢ゆえハッキリとは言えない。ただ、しばしばシャガールを連想するのは絵柄とか筆致とかいうよりももっと単純なことで、聖女リータは信者を助けるためぴゅーと空を飛んでやってくるからだ。

 いろいろな仕掛けを読み解くのも面白いが、それよりなにより、この重力を気にしないセンス(あるいはナンセンス)に乗っかって朗らかに楽しみたい一冊。

(牧眞司)