「谷崎潤一郎メモリアル2015」第1部に出演した3人の谷崎賞作家(左から奥泉光・川上未映子・阿部和重)。ちなみに阿部と川上はいまのところ唯一の夫婦での谷崎賞受賞者である (C)中央公論新社

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「『春琴抄』の語り手は春琴に萌えている。“萌え豚”なんですよ」
作家の阿部和重がそう力説した。4月8日によみうり大手町ホールにて開催されたイベント「TANIZAKI MY LOVE 谷崎潤一郎メモリアル2015」でのトーク中のことだ。『春琴抄』とは小説家・谷崎潤一郎(1886〜1965)の代表作の一つであり(1933年発表)、春琴は同作のヒロインで盲目の地唄の師匠である。

『春琴抄』は一種の評伝という形をとっている。語り手は、「鵙屋(もずや)春琴伝」という小冊子(念のために言っておくと、春琴は架空の人物であり、この冊子も架空の書物である)、関係者からも証言をとりながら春琴の生い立ちをたどっていく。阿部に言わせると、『春琴抄』は「鵙屋春琴伝」(今風に言えば“薄い本”)や証言をもとに再構成された物語、いわば二次創作ということになる。しかも語り手は春琴というキャラクターの心理をあれこれと読み解きながら萌えている。その作中には春琴の相手役として佐助という弟子が登場するが、阿部いわく、「(語り手には)佐助なんてどうでもよくて、あくまで『俺は(春琴に)萌えてるぜ』っていうことを表現したいがために書いているものなんですよ、これは」。ちなみに「萌え豚」とは、かつて作家の中上健次が谷崎を「物語の豚」と呼んでいたのにならったもの。

こんなふうに説明されるとがぜん『春琴抄』という小説に興味が湧く。「谷崎潤一郎メモリアル2015」の第1部では阿部のほか奥泉光と川上未映子が出演し、『春琴抄』について熱いトークを繰り広げながら同作の魅力・読み解き方を提示した。なお出演した3人の作家はいずれも谷崎潤一郎賞(中央公論新社主催)の受賞者だ。今回のイベントは、1965年に亡くなった谷崎の名を冠して同賞が創設されてから今年で50年を迎えるのを機に開催された。

■『春琴抄』はさまざまな音色でテキストができている(奥泉)
当初、第1部では三者がそれぞれ好きな谷崎作品について語るつもりだったが、全員が『春琴抄』をあげたためこのような形になったという。もっとも、奥泉は『春琴抄』の話そのものは嫌いだと強調していた(最近再版された中公文庫の『春琴抄・吉野葛』の帯にもそう書いている)。作中で佐吉が、師匠の春琴を慕うがあまり自身も目を針で刺して失明する場面などは怖くてまともに読めないらしい。

では、どこに惹かれるのか? これについて奥泉は「文章のグルーヴ」「音色」といった言葉を用いながらトーク中繰り返し説明していた。そこであげられたのはたとえば、佐助に稽古をつける春琴があまりに厳しいので、彼女の家の女中が見かねて止めようとする場面。作中ではこれに言い返す春琴の言葉が大阪弁で次のようにつづられている。

《春琴は却(かえ)って粛然と襟を正してあんた等知ったこッちゃない放ッといてと威丈高になって云ったわてほんまに教(お)せてやってるねんで、遊びごッちゃないねん佐助のためを思やこそ一生懸命になってるねんどれくらい怒ったかていじめたかて稽古は稽古やないかいな、あんた等知らんのか》

ここから文章はさらに以下のように続く。

《これを春琴伝は記して汝等妾(わらわ)を少女と侮り敢て芸道の神聖を冒さんとするや、たとい幼少なりとて苟(いやし)くも人に教うる以上師たる者には師の道あり、妾が佐助に技を授くるは素(もと)より一時の児戯にあらず、佐助は生来音曲を好めども丁稚の身として立派なる検校にも就く能(あた)わず独習するが不憫さに、未熟ながらも妾が代りて師匠となり如何にもして彼が望みを達せしめんと欲する也、汝等が知る所に非ず疾(と)く此の場を去るべしと毅然として云い放ちければ(後略)》

ここで「鵙屋春琴伝」から引用された文語体の文章の内容は、その前のくだりで春琴が大阪弁で言っていることとほとんど変わらない。ここに奥泉は注目する。

奥泉「最初大阪弁で言っておいて、同じ内容をすぐ文語体で言う。しかも全体としては普通の標準語文体が混ざってるんですよ。つまりいろんなレベルの文体で構成されている」
川上「衝突が起こってる」
奥泉「(大阪出身の川上に)これ、『疾く此の場を去るべし』っていうのは、大阪弁だったら何て言うわけ?」
川上「『早よおらんようになってな』とか」
奥泉「そうそう、『早よおらんようになってな』と書くこともできるし、『疾く去るべし』とも書けるし、『早くいなくなれ』というふうにも書けるし、さまざまな音色を構成する形でテキストができてるんですよ」

■これだけ魅力的な女性を書ける人はいないですよ(川上)
谷崎作品に出てくる大阪弁については、トークの後半でも川上があらためて語っている。川上は今回『春琴抄』を読み返したところ、「現実の大阪弁を再現しているわけではないが、非常に完成度の高い大阪弁」だと思ったとか。そんな感想を抱くようになったのも、川上が『乳と卵』などの自作で大阪弁を書くという体験をしたからだ。その体験を経たからこそ、春琴の話す大阪弁にいわゆるリアリティではない、いわば「フィクションのなかで成立しているリアリティ」を感じたという。

トークではこのあとも阿部が、色彩の描写を好んで書いた谷崎は「印刷機になりたかったのだ」と主張するなど理詰めで押しまくるのに対し(色白の春琴と色黒の佐助という対比が、佐助が黒目を針で突いて白目になることで反転するという解釈は面白かった)、川上がどちらかといえば感覚的な部分で谷崎を語っていて非常に対照的だった。

奥泉も『春琴抄』について内容よりももっぱら形式に注目し、その形式にこそ作家として嫉妬するとまで語っていた。トーク終盤、そんな奥泉と阿部に対し、作品の内容にも言及したかったらしい川上が「(谷崎作品には)女性というものに肉薄してるっていうポイントもあるわけじゃないですか。これだけ魅力的な女性を書ける人あまりいないですよ。その点にはあまり嫉妬しない?」と問いかけて、2人をたじろがせる一幕も。トークがさらなる展開に入ろうとしたところで惜しくも時間が来てしまい、第1部は終了した。

■アイドルと谷崎賞作家の異色のコラボが実現
内容がややハイレベルになった第1部から一転して、イベントの第2部にはアイドルの夢眠ねむ(でんぱ組.inc)が登場し、奥泉光から谷崎作品や小説全般の読み方のレクチャーを受けるという入門編的な趣きとなった。

奥泉は近畿大学の教授でもあり、いとうせいこうとのコンビで「文芸漫談」の公演も行なっているだけに、まさに打ってつけの役どころといえる。一方、でんぱ組での活動とあわせて個展を開いたり料理本を出すなど多才ぶりを発揮している夢眠は、文豪好きでもあるとか。ミーハーを自称する彼女は、森茉莉のファンでそこから父親の鴎外にも関心を寄せたり、芥川龍之介をかっこいいと思ったり、夏目漱石が好きだったというもなかを自分でも食べてみたりと、文豪へのアプローチの仕方がアイドルファンっぽくもあり親近感を抱かせる。

小説を買ってもなかなか読めないという夢眠に、奥泉が「タイトルを読んだ時点でその小説との関係は生じている」「頭から終わりまで読まなければならないという強迫観念を抱くことはない」などと語りかけていたのには、積ん読しがちな私も非常に励みになった。夢眠が美大出身ということで、絵画を例に説明していたのもわかりやすい。

奥泉「ここに絵がある。その前に立ちますよね。その絵を見るって言ったって、全体をいっぺんに見るってできないでしょう?」
夢眠「ですね。最初はだいたいの世界観を見ながら、好きだったら近寄って見て、筆の跡を見たり、『下地は水色?』みたいなことを……」
奥泉「それです! そういうふうに小説も読んだらいいんじゃないかって僕はいつも思うんですね。だから全体をパーッと読んだり、ある部分をものすごく丁寧に読んだり、でもまた全体のことをちょっと思い返したりっていうふうにね、すごく近寄って細かく読むこともするし、同時にすごく離れて俯瞰して見たりっていうことを何度も何度も繰り返していく作業が『読む』ということだと(僕は)とらえているんですよ」

第2部の終わりでは、夢眠が『春琴抄』のラストシーンを朗読するのにあわせて、奥泉がフルートを演奏するという異色のコラボレーションが実現した。読点がなく切れ目なく続く文章を朗読するのはそうとう難しかったはずだが、それを見事に読み切った夢眠。奥泉の奏でる曲も谷崎の作品世界に合わせて妖しさを醸し出していた。

会場では谷崎の作品や関連書も販売され、私もそこで中公文庫版の『春琴抄・吉野葛』を買い求めた。恥ずかしながら『春琴抄』を読むのはこれが初めてだったが、今回のイベントで繰り返し語られていたようにさまざまな文体で織りなされた文章を読むうち、とても贅沢な気持ちになった。美食家としても知られた谷崎だが、その作品を読むのもどこかフルコース料理を味わうのと似た愉しさがある。

谷崎の没後50年、来年の生誕130年にあわせて、中央公論新社からは来月10日より新たな『谷崎潤一郎全集』全26巻の刊行も始まる予定だ。「決定版」という触れこみの今回の全集は、最新の研究成果も反映し、作品を小説・随筆と問わず執筆・刊行年代順に収録するなどさまざまな工夫が凝らされているという。これを機に作品をまとめて読んで、谷崎に萌えてみるのも一興かもしれない。
(近藤正高)