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「玉の輿」。それは女性たちの憧れ。「でも、私にはムリムリ……」なんて端からあきらめるのは早いかも。だって、今より身分制度が厳しかった江戸時代に、庶民が将軍の寵愛を受けて玉の輿に乗ることもあったのだから。現代で例えるならば、一般人が総理大臣や大統領と結婚! というところでしょうか。

もちろん、玉の輿に乗るには秘訣があります。そこで見事玉の輿に乗った江戸時代・大奥のシンデレラたちから、その秘訣を紐解いてみましょう。

○側室は所詮女中、目指すは将軍の母

江戸城内にあった大奥は、徳川将軍の子どもを産んで育てるための空間でした。およそ1,000人以上もの女性が暮らしていたそうです。ほとんどは、将軍や正室の身の回りのお世話をする女中たちでした。

彼女たちに将軍の手が付くと晴れて側室となるわけですが、それだけでは大して優遇されませんでした。側室となっても身分上は女中のままだったようです。男の子を産み、その子が将軍になって初めて権威を振るうことができ、玉の輿に乗ったと言えたのです。まずは、大奥の頂点に立った2人の娘を事例にしましょう。

○八百屋の娘のシンデレラストーリー

本格的に大奥が整えられたのは、3代将軍・家光の頃。家光は30歳を過ぎても子どもがいませんでした。その理由は家光が男色家だったから。女性を近づけようともしなかったそうです。血筋が命とも言える将軍家でこれは由々しき事態! 家光の乳母・春日局(かすがのつぼね)は、家光になんとか女性に興味を持ってもらおうと、身分に関係なく美しい女性を手当たり次第に大奥へ放り込んでいきます。

そのうちのひとりが、八百屋の娘・お玉でした。自分の身分が低いのを恥じていたお玉は、とても勉強熱心な娘でした。また、信仰心も厚く、寺社へたくさんの寄付を行うなど、心清らかで努力家な女性であったことが分かります。

そんなお玉はすぐに家光お気に入りの側室となり、20歳で徳松という男の子を産みます。しかし、すでに家光には男の子がおり、徳松が将軍になれる可能性は限りなく低いものでした。ところが時は流れ、徳松の異母兄である4代将軍・家綱は子どもがいないまま死去。すると、将軍の座が徳松に回ってきたのです。5代将軍・綱吉の誕生でした。

こうして、八百屋の娘から将軍生母にまで登りつめたお玉。「玉の輿に乗る」という言葉は、高い身分の人が乗る輿の美称が語源なのですが、「お玉の名前が由来だ」なんて俗説が流布するほど、誰もがうらやむシンデレラストーリーを歩んだのです。

○寺娘から上り詰めるも、危うかった大奥頂点の座

玉の輿に乗った女性をもうひとり紹介します。6代将軍・家宣の側室となったお喜世(きよ)です。小さな寺の住職の娘だったお喜世は、いくつかの大名家に奉公しにいく立場でしたが、縁あって大奥へ上がります。お喜世は薄化粧を好み、うわべだけの派手さや美しさを嫌う、つつましやかな性格の持ち主だったようです。また、書籍を読んだり和歌を嗜(たしな)んだりするなど、深い教養を持ち合わせていました。

そんなお喜世を家宣が放っておくはずもなく、寵愛を一身に受けた彼女は男の子を産みます。そのわずか3年後に家宣が亡くなると、お喜世の幼い息子が7代将軍・家継として就任。絶大な権力がお喜世のもとへ転がり込んできました。

将軍生母となるとその家族も恩恵に預かることができるのですが、お喜世は自分の父や兄弟に対して「身を慎むように」と釘を刺しています。立場におごらない、芯のしっかりした女性だったのでしょう。

ただ、お喜世は幸せだったかというとそうでもないのです。後にお喜世に仕えていた絵島という女中が、大勢の追放者を出すような大スキャンダルを起こしてしまいます。お喜世自身には何のおとがめがなかったのですが、この事件でお喜世の権力は弱まってしまいました。さらに、お喜世の息子・家継がわずか8歳で夭折してしまいます。

権力争いに巻き込まれるなど、その地位は決して安定したものではなかったお喜世。とは言え、生涯、将軍生母として優遇され続けたため、晩年は1万坪もある屋敷で不自由なく暮らすことできたそうです。

○大奥流・玉の輿を狙うコツを現在に生かす

2人のシンデレラストーリーはいかがでしたか? ところで、2人がすんなりと将軍に手を付けられたかというと、そんなことはありません。そもそも将軍のお目にかかる機会がなければ、将軍に手を付けられることはありませんよね。しかし、大奥の女性たちにも身分があり、将軍に会えるのはごく限られた女中だけでした。つまり、大奥の中で出世をすることが玉の輿に乗る一番の近道だったのです。

大奥での出世は「一に引き、二に運、三に器量」と言われました。「引き」とは、自分を引き立ててくれる上司のもとにつくこと。例えばお玉は、当時の大奥の実権を握っていた春日局から後押しがあったので、側室になることができました。ですが、上司が失脚してしまえば、自分の出世も危うくなります。逆に、思いがけないタイミングで昇進のお声がかかることも。まさに「運」次第です。

また、将軍の玉の輿を狙って、賢く美しい女性がわんさか集まっていますから、「器量」がなければバカにされてしまいます。かといって、ここは嫉妬渦巻く女の園。美しすぎたり優秀すぎると、孤立してしまうこともあるのです。

いじめは日常茶飯事だったようで、例えば将軍の手が付いた人を「汚れた方」、そうでない人を「お清の方」と呼んでいたとか。さらには、懐妊が分かった女中に流産の呪いをかけることもあったようです。女の嫉妬心というのはすさまじいですね。陰湿ないじめにも屈しない強い心を持ち、自分を磨く努力を怠らなかったからこそ、お玉にもお喜世にも運が回ってきたのでしょう。

ただし、出世が全てだったか、というとそうではありませんでした。お風呂で将軍の身体を洗う係の下っ端女中が見初められ、一足飛びに側室に! なんてこともあったのです。まずはお目当ての相手と同じフィールドに立つ、つまり、なんとか意中の人の目にとまるところに立つ。それが、現代においても玉の輿に乗る第一歩なのかもしれません。なんでしたらこの際、「ハンカチを落とす」もアリかもしれませんよ。

○筆者プロフィール: かみゆ歴史編集部

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史全般、世界史、美術・アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『一度は行きたい日本の美城』(学研パブリッシング)、『日本史1000城』(世界文化社)、『廃城をゆく』シリーズ、『国分寺を歩く』(ともにイカロス出版)、『日本の神社完全名鑑』(廣済堂出版)、『新版 大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)など多数。また、トークショーや城ツアーを行うお城プロジェクト「城フェス」を共催。「かみゆ」「城フェス」

(かみゆ歴史編集部)