小林可夢偉インタビュー 前編

 12年ぶりの国内レース復帰。17歳でヨーロッパに出て以来ずっと海外を拠点にレースをしてきた小林可夢偉にとって、2015年はさまざまな葛藤の中で迎えるシーズンになった。

 昨シーズンは、ケータハムから参戦し、苦労の連続だった。マシン性能の問題以外にも、資金の問題など、可夢偉の前には多くの課題が山積。そんな苦しい状況でも、F1に残る道を探し続けた。しかし、次の道は見つからなかった。

 今でもF1をあきらめたくないという気持ちはある。「F1でやり残したことがある」という気持ちが強いことは否定できない。しかし、実際にはシート獲得のチャンスが皆無に等しいという現実も受け入れなければならなかった。

「現実的に考えれば、2015年のF1のシートはリザーブも含めてもう残されていないし、F1には今すぐ戻れるわけじゃない。お金のない状態で交渉に行っても相手にされないし、現状では復帰は厳しい。でも、F1をあきらめるとかあきらめないという話ではなくて、単純にチャンスがあれば乗りたいし、チャンスが巡って来たらつかめるように、常にしっかりと準備をしておくしかないかなと思っています」

 F1への思いをそう割り切って、スーパーフォーミュラ(SF※)に参戦することを決めたのは、F1に乗れないのなら、日本国内のモータースポーツを盛り上げるためにひと役買いたいという思いがあるからだ。

※全日本選手権スーパーフォーミュラ。フォーミュラ・ニッポンを引き継ぐ形で2013年にスタート。日本国内最上位の自動車レースカテゴリー。昨年の王者である中島一貴ら元F1ドライバーも参戦中。

「日本のモータースポーツ界のために、力を尽くしたいと思っています。レースで結果を残すのは当たり前ですけど、モータースポーツの盛り上げに貢献できれば、それは意味があることだと思う」

 可夢偉が参戦を決めたSFは、F1に匹敵する速さを誇るマシンと腕利きのドライバーたちを擁し、国内最高峰のレースと銘打っている。しかし、レース週末のサーキットに観客の姿はまばらで、レースファンの間で話題にのぼることはあまりなく、世間一般ともなるとその存在はほとんど知られていない。

「お客さんにスーパーフォーミュラを知ってもらうことが基本的なことじゃないかなと思うので、まずはそこをやっていきたい。それが今年の僕の役目だと思ってます」

 可夢偉はこれまで3回の公式テストに参加し、サーキットで企画されたファンサービスにも注力してきた。サーキット外では、公式イベントだけでなくレッドブルのチャリティマラソンや「世界自閉症啓発デー」のイベントなどにも出席。また、イオンと提携した子どものためのカート教室など、この3カ月間でモータースポーツのPR活動を精力的にこなしてきた。

「たとえば、僕が居酒屋で飲んでいるときに、隣のおっさんが普通にスーパーフォーミュラの話をする時代になればいいなと思います。今はほとんどの人がスーパーフォーミュラという存在を知らないから、共通の話題にならないし、そこがいちばんの問題やと思うんですよね。野球なんかは、居酒屋で隣の人と野球の話をして友達になるっていうようなことがあるでしょ? そのくらいにならないとね」

 マシンは速く、ドライバーの顔ぶれも一流。SFには人気を博すだけのポテンシャルがあると可夢偉は感じている。

「お客さんが入ればさらに面白くなると思いますよ。今はお客さんが少ないから寂しい雰囲気になっちゃってるだけで(苦笑)」

 SFは、かつてF1ドライバーを多く輩出した全日本F3000選手権を前身としている。しかし、SFに移行したころから人気は低迷し、サーキットに閑古鳥が鳴くようになった。どうしてそうなってしまったのか。「問題点はたくさんある」と前置きしたうえで、可夢偉は一例を挙げた。

「フリー走行が1時間しかないんです。お客さんがせっかくサーキットに見に来てくれてるのに、わざわざ走らせないのはなんでなんか、僕には意味が分からなかったんです。見てもらえるチャンスなんやから、走らせるべきやと思うでしょ? それはなんでかっていうと、予算の問題やったりするんです。でも、走らせるための予算がないっていうんやったら、その予算をなんとかして見つけることを考えるべき。それに、走ってない時間に(ファンのための)イベントもやっていないわけです。改善すべき点はたくさんあると思います」

 SFの運営に関わる人々の腰は重い。自動車メーカーが関与して初めて成り立つモータースポーツだけに、メーカーの意向に左右される部分も多々ある。それでも、主催者であるJRP(日本レースプロモーション)やトヨタ、ホンダを中心として、可夢偉の参戦をきっかけに盛り上げようという気運は高まっている。

「正直、やるべきことはひとつだけじゃなくて、ものすごくたくさんのことをやらないといけない。でも、いきなり全部やるというのも難しいと思うし、少しずつやっていくしかないなと思います。『これが足りない』とかいうレベルではなく、足りないところだらけだと思うんですよね。システムとして改善しなきゃいけない部分もたくさんあるし、僕が入っていけない部分もある。

 みんな問題点は分かってるんですよ。でも、それをどうしたらいいのか分からないだけやと思うし、日本企業っていうのは難しい立場にあるんやなとも思う。何かきっかけがあって、一気に加速すればいいなと思うから、できる限りのことはやっていきたい」

 可夢偉は「国内のモータースポーツを盛り上げるため」としか言わないが、フォーミュラカーレースを盛り上げたいという思いの背景には、これまで自分が経験してきた苦労がある。

 日本ではレースの「社会的地位」が高いとは言えない。だからこそ、自動車関連企業以外の会社は積極的にスポンサー活動をしない。そのため、可夢偉もレース活動を続けるうえで数々の苦難にぶち当たってきた。これから世界に挑戦しようという若いドライバーのためにも、そこを打破しておきたい。それが可夢偉の思いだ。

「モータースポーツの社会的地位が向上すれば、投資をしようというスポンサーも増えてくるだろうし、若いドライバーがチャンスをつかめる機会も増える。日本は自動車大国なのに、ドイツみたいに国中がモータースポーツを認知している感じではなくて、自動車メーカーもF1に対するスタンスがドイツほど熱心ではないと思うんです。そういうことも含めて、モータースポーツに対する世間一般の目を変えていくという点で、貢献できればいいなと思います」

 可夢偉は随分大人になった。自身が国内レースに復帰し、自分目当てにサーキットへ見に来てもらいたいと語ることは、ある意味、自分が"客寄せパンダ"になることを受け入れるということだ。以前の可夢偉なら、コース外で自分を投げ売りすることは拒絶していたはずだ。

「今までモータースポーツを盛り上げようなんて、真剣に考えたことはなかった。けど、自分がもっと一生懸命やらないと、若い子たちが今後もっと苦労するんだろうなという思いはあった。若い子たちにうまくバトンをつなげるようにしたいし、『自分さえ良かったらええわ』っていう考え方じゃダメだと思ったんです」

 たしかに、F1復帰に賭け、「F1に乗れないのならレースをやめても構わないと思った」と吐露した1年前の気持ちは今も変わっていないが、同時に、自分を犠牲にしても構わないと言える強さがある。

「レースをやめるのはいつでもできるけど、力になれることはいっぱいある。やらなかったら一生後悔するやろなと思ったんです。やらずにレースをやめたりすると、それはズルい気がして。レーシングドライバーを目指す子どもの立場で考えると、今やめたら『ズルいやろ、ふざけんなよ小林可夢偉!』って突っ込まれると思うんですよね」

 そんな思いを胸に挑む可夢偉の2015年は、ひとつのレースに挑むだけではなく多くの目標がある。

「サーキットがお客さんでパンクするくらいになってほしいんです。F1よりお客さんが来てくれるくらいの人気になって欲しい。そういう意気込みでやっています。いろんな部分で、まだまだのところが多いですけどね」

 可夢偉はそう言って目を輝かせた。さらにひと回り成長した小林可夢偉が切り拓く「日本モータースポーツの未来」を楽しみにしたい。
(後編へ続く)

【profile】
Kobayashi Kamui
1986年9月13日兵庫県生まれ。
1996年にカートレースデビュー。2001年にフォーミュラ・トヨタレーシングスクールのスカラシップ生に選出され、02年ヨーロッパカート選手権に参戦。
その後、フォーミュラトヨタ、フォーミュラルノーなどを経験し、06年からF3ユーロシリーズにステップアップ。
08年からF1直下のカテゴリーであるGP2に戦いの舞台を移すと、09年にはF1第16戦ブラジルGPにトヨタのドライバーとして参戦。
いきなり9位入賞の力走を見せると、続く第17戦アブダビGPでは6位を獲得。これが評価され、10年はザウバーのレギュラードライバーとしてフル参戦。
11年、12年はザウバーで活躍。12年日本GPでは3位表彰台を獲得した。
13年はF1シートを獲得できなかったが、14年はケータハムと契約。
15年はスーパーフォーミュラ参戦が決定している。

米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki