「若い時期は、二度とやってこない」孫正義から学ぶ、世界を経験することの大切さ

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2014年からスタートした文部科学省が官民協働で実施する、海外留学支援制度「トビタテ!留学JAPAN日本代表プログラム」。

可能性に溢れる日本中の高校生、大学生が海外で経験を積むための支援を行う。

その第1期となる派遣留学生壮行会で、今回最大の支援企業となったソフトバンク株式会社の代表取締役社長、孫正義が行ったスピーチが素晴らしいのでぜひご紹介したい。

直接、勉強や海外経験を推奨するのではなく、自らの壮絶な人生を振り返りながら、なぜアメリカへいこうと思ったか、そこで何を得たのかを教えてくれている。

このスピーチを聞いたら、行動せずにはいられなくなるだろう。
Softbank Summit 2008 Keynote
(2008年のソフトバンクサミット時の写真)

スピーチをまとめると、

01.将来のために、アメリカ留学を決意父が倒れ、兄が高校を中退し働きだしたとき、アメリカ留学を決めた。周囲は状況を考えろと反対したが、家族の将来、もっと困っている人たちの将来を支えるために決意を固めた。02.国籍は関係ないと、自分の人生をかけて証明したい数十年前、やっとの思いで日本国籍を取得した。国籍のことで悩んでいる若者に、そんなことは関係ない、誰にでも可能性があるということを自分の人生をかけて証明したいと思った。だから留学中は、歩くときもご飯を食べるときも、1秒も無駄にせず必死に勉強した。03.若い時期は二度とこない。世界に飛び立とう!アメリカでは、肌の色の違いなんて関係ないことを教えてくれた。誰もが夢を持っていた。16歳の時にこのカルチャーに触れていなかったら、人生は違うものになっていた。若い時期というのは二度とやってこないから、このチャンスを大切にしてほしい。

住所のない”無番地”で暮らしていた

みなさん、自分の戸籍の住所について知っていますか?

僕は若いとき、その意味をよくわかっていませんでした。でも20歳を過ぎて、戸籍をとりにいく機会があり、そのときに住所が「無番地」といういうことに気が付いたんです。僕の戸籍の住所には、佐賀県鳥栖市五軒道路無番地って書いてありました。番地が「無い」ってことですね。

祖父母は、聞くところによると漁船の底に潜り込んで日本にきたそうです。だから当然住むところがなく、住み着いたのが今でいうJR国鉄でした。鳥栖市の駅から200mくらい離れた、本来住所として存在しないところにトタン屋根で雨風をしのぐ板を張ってそこに住んでいました。本来は、許可されていない土地に勝手に住み着いたということになります。

だから区役所は番地を与えるわけにはいかず、戸籍謄本は「無番地」という住所にしたのだと分かりました。

これが最初の戸籍です。そういう地を這うような生活から這い上がってきました。

反対されたが
将来のために、留学を決意

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中学生の時、何とか人並みの生活ができるレベルの収入を得るようになった矢先のこと、働き盛りの親父が血を吐いて倒れ病院に運ばれました。その時から家庭は暗くなり、お袋はいつも泣いているような状況でした。高校1年生だった兄は、高校を中退し家計のために働き始めました。

そんな中で、突然アメリカに留学すると言いだしたわけですね。もちろん、親戚からはこっぴどく言われました。「こんな状況の中、一人だけアメリカで楽しそうに留学とはなんてことだ。お前は冷たいやつだな。」と。

何のためにいくんだ?と聞かれ、いろんな夢があると答えましたが、「それはお前の個人の夢だろう。家族を支えなきゃいけない一番苦しいときに、何でそんな勝手な夢を持つんだ」とも言われました。

でも兄にはこう伝えました。

「兄ちゃん悪いけど今は家族を支えてほしい。我が家の近い将来の問題を支えるのは兄貴に頼りたい。でも遠い将来の家族、遠い将来のもっと多くの苦しんでいる人たちを支えるために、俺はアメリカにいく」。

国籍なんて関係ないと
自分の人生をかけて証明したい

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今ここにいるみなさんは日本国籍かと思いますが、僕は十数年前に、泣きたいほどに望んでやっと日本国籍をいただくことができました。今でも自分がどこの国籍に属しているのか、よくわかりません。23代前は中国に先祖がいて、そこから韓国にわたり、3代前から日本にいます。

今も、在日韓国人ということで、心の中で苦しんでいる人が何十万人もいると思います。僕も国籍問題で悩み、子供の頃に自殺したいと思ったことがありました。自分だけ周囲と違うということが恥ずかしい、隠したいと苦しんできました。

でも今、同じような境遇の若い在日韓国人の人たちに、僕は言いたい。「悩むことはない。国籍なんちゅうのはただの紙切れ。どんなバックグラウンドであれ、みんな同じ人間だ。みんな一人の人間として尊いんだ。みんな同じように夢を実現できる可能性を持っているんだ。」と。

この国籍だと劣っているなんてことはないんだと、自分の人生をかけて証明してみせます。

だから、以前は家族親戚みんな「やすもと」という日本名を名乗っていましたが、留学から帰ってきたらあえて「孫」という先祖代々の名前を名乗ることにしました。

自分の国籍の過去も堂々とカミングアウトし、その上で立派に同じレベルの人間として仕事をしてみせる。多くの人に貢献してみせるんだ、ということを心に誓いました。

ですからアメリカに留学してからは、勉強の鬼になりました。生易しいものではありません。道を歩くときも風呂の中でも食事をする時でも、寝ている数時間以外はすべて勉強に捧げました。当時は、今の自分が恥ずかしくなるくらい、本当に1分1秒を惜しんで勉強していました。

若い時期は二度と来ない
今、世界に飛び立とう!

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アメリカでは多くの学問を学びましたが、それ以上に学んだのは、そこにはいろんな肌の色の人がいて、みんな明るく夢や希望にあふれ、アメリカンドリームを掴もうと、一生懸命に仕事をしていました。アメリカは、世界で最も進んだ文明や社会システムを持っていました。

僕はそのことに感動し、いつか日本に返ったら必ず世界に誇れるような企業を日本につくりたい。そしてその会社がそれなりの規模になったら世界中の人々に我々の仕事で幸せを提供したいと思いました。それを誓って、ひたすらに勉強していました。

もし16歳の僕が、アメリカという日本以外の国を知らなかったら、今の僕の人生は違うものになっていたでしょう。結果的に、父は無事健康を取り戻し、お袋も笑って過ごし、兄貴も幸せにしています。

みんなに恩返しをしたい

あの時、高校を中退して支えてくれた兄貴に何らかの形でお礼をしたい。だから、皆さんの家族や兄弟が、中退や何か特別なことをして留学を支援する代わりに、支援をしようと思いました。

皆さんに、夢と希望に溢れ多くの人々に貢献できる、そういう道を提供できるのであれば、それが兄貴や親父、お袋に対する恩返しになると思っています。

この素晴らしい、美しい、本当に愛しき日本に、みなさんが高い志をもって、後に続く多くの若者に、そしてお年寄りに貢献してほしい。そして僕は間接的にでもそんな皆さんの応援ができたらと思っています。

人生で今の皆さんのような若い時期というのは二度とやってきません。1日1秒を大切にしていただいて、このきっかけを有意義なものにしていただきたい。

心からそう思います。頑張って下さい!

Reference:You Tube